あの日、私は尾関先生と下総さんと一緒に図書室にいた。
ほかにも司書の小泉さんや図書委員のメンバーがいたはずだが、はっきりとは覚えていない。
書庫に溜まった雑誌や新聞類、古い蔵書の整理や虫干しをするのが夏休み前の終業日の決まりで、例年の如く私たちは図書室に集まっていたのだ。
作業がほぼ終わったところで、ご褒美のアイスクリームが振る舞われる。
なんの変哲もないカップ入りのバニラアイスだけれど、一汗かいたあとにはその甘さと冷たさが嬉しい。
まだ融け切らないアイスのひやっとした感触が、今も私の舌には蘇るほどだ。
「木崎、受験はどうするんだ」
一足先にアイスを食べ終えた尾関先生が言った。
「東京の私学です」
「そうか。まあ、木崎はそうだよな」
進路に関しては、二年生のときに何度も尾関先生と話をしてきた。
「ごみせんからは、国公立も受けろって言われてますけど」
三年の担任は文系コースだというのに、なぜだか数学担当の五味先生で、国公立大学を受験しろ受験しろとどうにもうるさかった。
「五味先生には五味先生のお考えがあるだろうが」
尾関先生はそこまで言うと私をじっと見て、
「最後は木崎自身が決めることだからな」
と、続けた。
私は黙って頷いた。
「下総は」
尾関先生は今度は下総さんに尋ねる。
「私は、地元の大学を受けるつもりです」
下総さんの声は小さいけれど、とても澄んでいた。
歌を歌えばきれいだろうなと私は思った。
「英文に行きたいんだよな」
「はい、できれば」
私は、下総さんがよくイギリスの作家の小説を読んでいることを知っていた。
「去年の読書感想文、あれ面白かったからな。高慢と偏見」
「いえ、そんな」
「謙遜するなって」
オースティンの『プライドと偏見』は、少し前にDVDで観た。
エリザベス役のキーラ・ナイトレイが美しかった。
「木崎のミーナの行進の感想も面白かったけどな」
尾関先生のこういうところが、好きだった。
非常にわかりやすいけど、でも、私は好きだった。
「まあ、今年の夏休みは勉強勉強で読書感想文どころじゃないだろうけどな」
「先生は夏休み、どこか行くんですか」
「そうだなあ、今年は北海道でも走ろうかと思ってるんだ。学生時代の友達が小樽に転勤になってな。島流しだからさびしいさびしいってせっつくんだよな」
私の質問に尾関先生が答えたとたん、えっと下総さんが小さく声を上げた。
私は驚いて下総さんに視線を移した。
「ごめんなさい、何もないです」
下総さんはすぐにそう返事をしたが、彼女の顔はいつもと違ってとても薄白く見えた。
2018年08月27日
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