☆百物語の館〜落語と怪談〜
ゲスト:笑福亭笑利さん
(2018年7月15日15時開演の回/誓願寺2階講堂)
38度を超す猛暑と祇園祭の宵々山の混雑の中、日本怪談研究と朗読公演の一座「百物語の館」を聴きに誓願寺まで足を運んだが、いやあやっぱり足を運んでよかったな。
今回は「落語と怪談」のテーマの下、落語を下敷きにした怪談が朗読されるとともに、落語家の笑福亭笑利さんがゲスト出演し落語を一席披露していた。
まずは、猫山絢子さんの読みで、『漆塗りの女』(『諸国百物語』より/堤蛇彦先生台本)。
死んで遺言通り身体を漆塗りされた前妻が後妻に復讐していくという、いわゆる「後妻打ち(うわなりうち)」をテーマにした作品。
猫山さんは感情を強く込めた読みで、前妻の言葉が印象に残る。
余談だけれど、猫山さんの雰囲気やエロキューションにふと若き日の千石規子を思い出した。
続いては、柚木琴音さんの読みで、『つんつんとんとん』(岡山での聞き取りを元にした作品/仙崎耕助さん台本)。
女にとりつく男の話で、老婆が口にする岡山弁にインパクトがある。
やり様によっては恐ろしさに満ちた作品になり、逆に内田百闢Iなおそろおかしい作品にもなるような展開だけれど、柚木さんは声で語るというか、淡々とした読みで聴かせた。
つんつんとんとんつんとんとん、という部分が美しい。
前半最後は、亀山笑子さんの読みで『牡丹灯籠』(『伽婢子』より/堤蛇彦先生台本)。
おなじみ『牡丹灯籠』のお話。
ただし、三遊亭圓朝作よりだいぶん前、江戸初期の頃に書かれたもので、京都の五条・万寿寺辺りが舞台となっている。
亀山さんは堂に入って安定した読み。
節度ある艶っぽさだ。
短めの休憩を挟んで、後半は元締の堤先生、怪談研究者の井上ねくてぃさん、笑福亭笑利さんによるトークからスタートする。
『牡丹灯籠』など、主に三遊亭圓朝の作品について語られていたが、圓朝のフィールドワークにも触れられていた点が興味深かった。
そして、お待ちかねの笑利さんの高座である。
照明を絞った会場の雰囲気にあわせ、笑利さんは低めの声で口演を始める。
自己紹介を兼ねた吉本がらみのエピソードや小咄を怪談風に演じてしっかり笑いをとったのちの本題は、十八番の『鯉つかみ』。
琵琶湖のほとりに宿をとった旅の男二人。
そのうちの片方が美しい女に誘われたと喜び勇んで夜な夜な琵琶湖へと出かけたが、実はそれは…。
というまさしく百物語の館にぴったりな設定の新作だ。
錦湯さんでの初演時以来、すでに何度も接してきた噺だけれど、演じるごとに筋運びが練れてきているし、人形も「グレードアップ」してきている。
しかも、笑利さんは場の雰囲気を巧くつかむことも忘れてはいない。
大いに笑ってしまった。
それとともに、笑利さんの落語そのものや師匠の笑福亭鶴笑さんに対する敬意の念、人との繋がりや場を共有することへの強い想いもよく窺えた。
いずれにしても、着実に成果を上げている笑利さんの姿をこうやって目にすることができるのは本当に嬉しいかぎりである。
続いて、黒川茜さんの読みで『破約の果てに』(古典落語『三年目』より/堤蛇彦先生台本)。
病のために死にゆく妻に夫は、もし自分が再び妻をめとったら幽霊になって化けて出てきて欲しいと約束する。
ところが、後妻を迎えても前妻は化けることはなく…。
というおなじみのお話。
語尾の切り方等も含め、黒川さんは抑制が効いた読みを披瀝していた。
サゲも効果的。
五話目は、三輪涼さんの読みで『紋三郎稲荷』(古典落語『紋三郎稲荷』より/戸田和代さん台本)。
ふとしたことからお狐様と間違えられた侍は、これ幸いと周囲の間違いにのっかるが…。
三輪さんは、地の部分の丁寧な読みと会話の滑稽さのバランスが上手くとれていた。
特に、侍が自分のしてしまったことにはっと気づいてしまうあたりの、話の一瞬の変化が記憶に残る。
トリは、高杉詩音さんの読みで『もう半分』(古典落語『もう半分』より/仙崎耕助さん台本)。
一合の酒を半分ずつ、「もう半分、もう半分」と注文する常連の老人がある夜五十両もの大金を店に忘れていく。
すぐさま取りに戻る老人。
だが、店の主人は女房の言葉に従って、そんな金はなかったと白を切る…。
これも古典落語の中ではおなじみの怪談、というより人間の業ががっと前面に押し出されたような陰惨な話だ。
高杉さんは張りのある声で話を運びながら、老人、主人、女房もよく演じ分けていた。
サゲの台詞も、本来の落語をよく踏まえたグロテスクな笑いとなっていたのではないか。
と、盛りだくさんで存分に愉しみました。
ああ、面白かった!!!
2018年07月15日
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