☆てまり第三回公演『からの箱』
作・演出:しらとりまな
(2018年6月30日17時開演の回/シアターカフェNyan)
最近、弘美の『森へ行きましょう』<日本経済新聞出版社>、未映子の『ウィステリアと三人の女たち』<新潮社>と、両川上の作品を続けて読んで、当然その志向や嗜好は違えど、どう足掻いたところでこの与えられた一回の生を生きていかなければならない人間にとって、別にあり得た人生について言葉を紡ぐ、小説を書くということは、時に武器であり、時に護符であるのだと強く感じた。
ただし、言葉のみではすべての感情を表し切ることはできない。
だからこそ、その齟齬にもどかしさを感じた人は、ただ言葉を紡ぐだけではなくて、踊り、歌い、演じるのではないか。
しらとりまなの一人芝居、てまりの第三回公演『からの箱』(しらとりさん自身の作・演出)を観て思ったのもそのこと、しらとりさんもまた本来は言葉を紡ぐ人、書く人でありながら、それだけでは汲み上げることのできない自分の心の内を歌い、演じることでなんとか表現しようとする人だということだった。
(ちなみに、会場のシアターカフェNyanは大阪メトロの長堀鶴見緑地線・西大橋駅から歩いてすぐ。シアターカフェと名乗るだけあって、プレイングスペースがしっかりとってある。加えて、インティメートな空間でありながら、天井が吹き抜けで開放感も強い。しらとりさんは、そうした小屋の性質を巧く活かしていた)
いくつかの歌も交えながら演じられた40分弱の濃密な寓話風の作品については、あえて詳細を記さない。
詩的で繊細な台詞や照明、音楽を通して、しらとりまな自身の、こうありたかった、こうあって欲しかった、こうありたいといった切実な想いがよく伝わってくるとともに、しらとりさんのこれまでや今現在もはっきりと浮き彫りにされていて、強く心を動かされる。
正直冒頭部分のモノローグなど、例えば優れたシャンソン歌手の歌であっても、聴き出してすぐのうちはその激しい感情表現に違和感と滑稽さを感じるのに似たような感情過多が気になったことも事実だ。
それに、万一この本をしらとりさん以外の第三者が演じる機会があるとすれば、より距離感を持った演技が求められるのも確かだろう。
だが、作品が進み、しらとりさんの言葉や声、表情に接するうちに、彼女にとってこれはこう演じられ、こう表現されねばならないものだということが十分十二分に腑に落ちたし、彼女の本領はこの一人芝居、てまりの公演にあるのだなとも痛感した。
いずれにしても、観に行ってよかったと思える公演であり、作品だった。
ところで、残念なことにシアターカフェNyanはクローズしてしまうのだという。
それもあってか、しらとりさんもしばらくてまりの公演はお休みにするらしい。
けれど、白鳥の歌にはまだまだ遠い(だいいち、この『からの箱』だってリスタートを祈る作品のはずだ。アレルヤ!)。
リーディングや朗読、二人芝居その他、しらとりさんの本領が十全に発揮される企画や公演の開催を心待ちにしたい。
ああ、面白かった!!!
2018年06月30日
この記事へのコメント
コメントを書く