2018年06月10日

アルテミス・カルテット

☆アルテミス・カルテット

 座席:1階LD列6番
(2018年6月10日14時開演/兵庫県立芸術文化センター小ホール)


 アルテミス・カルテットの来日公演を聴きに、西宮の兵庫県立芸術文化センターまで足を運んだ。
 1989年に結成され、ベートーヴェンの弦楽4重奏曲全集などVirginレーベル(現Warner)に鮮烈な録音を残してもいるアルテミス・カルテットだが、ヴィオラのフリーデマン・ヴァイクルの早世等、幾度かの交代を経て、現在のメンバーはヴィネタ・サレイカ(第1ヴァイオリン)、アンシア・クレストン(第2ヴァイオリン)、グレゴール・ジーグル(ヴィオラ)、エッカート・ルンゲ(チェロ)の4人である。
 今日演奏されたのは、ベートーヴェンの弦楽4重奏曲第3番、ヤナーチェクの弦楽4重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」、モーツァルトの弦楽4重奏曲第19番「不協和音」の3曲。
 アルテミス・カルテットは、意欲的なプログラムに相応しい、精度が高く密度の濃い演奏を繰り広げていた。

 1曲目は、実質的にベートーヴェンが最初に作曲した弦楽4重奏曲という第3番。
 栴檀は双葉より芳し、という言葉通り、ベートーヴェンの表現意欲が表された作品で、特に感心し感嘆したのが第2楽章だった。
 孤が孤であり個が個でありながら、というか孤が孤であり個が個であるからこそ、このアンサンブルが生まれてくるのだということがよくわかる、掛け合いの妙が発揮された演奏となっていて、ぐっと惹き込まれた。
 第3楽章、第4楽章の攻めの姿勢も強く印象に残る。

 続く、ヤナーチェクの弦楽4重奏曲第1番は、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』の影響の下に作曲された作品。
 ギリギリガリガリという「雑音」も織り込んだヤナーチェクの音楽の先駆性とともに、後期ロマン派にも通じる抒情性、私小説ならぬ私音楽的な感情の劇的な変化をアルテミス・カルテットは巧みに再現していた。
 いやあ、なんと美しい音楽だろう。
 なんと美しい演奏だろう。

 休憩を挟んで、3曲目はモーツァルトの「不協和音」。
 「不協和音」という愛称のもとになった冒頭部分から一瞬にして長調に転じる明快さ、明晰さがこの曲の象徴ではないか。
 いわゆるピリオド・スタイルの影響云々かんぬんを抜きにして、アルテミス・カルテットの澱みない流れるような演奏を愉しんだ。
 もちろん、それいけどんどん、モーツァルト超特急なんて粗さとは無縁。
 細やかな目配りの届いた解釈であったことは言うまでもない。

 盛大な拍手に応えて、アンコールが2曲。
 まずは、メンデルスゾーンの弦楽4重奏曲第3番から第3楽章が演奏された。
 憂いとほとばしるような激情が同居した音楽で、サレイカのソロが光っていた。
 そして、最後にヨハン・セバスティアン・バッハの4声のコラール「聖霊の豊かな恵みを」BWV.295。
 それこそ音楽の基礎、本質とでも呼ぶべき作品であり、演奏だった。

 そうそう、アルテミス・カルテットの演奏スタイルを書いておかなきゃいけないんだ。
 チェロのルンゲ以外は立ったままの演奏。
 と、言ってもルンゲも落語の高座風の台の上の椅子に座っているので、目の高さは他の3人とそれほど変わらない位置にあり、アイコンタクトはばっちりである。
 譜面にi padを使うクレストンなど、楽器の弾き方に各々の特性が出る反面、ここぞというところでのアンサンブルのまとまりも耳・目でよくわかった。

 「革新的な音楽を創造する、世界屈指のアンサンブル」というチラシの惹句に掛け値なし、とても充実した聴き応えのあるコンサートだった。
 ああ、素晴らしかった!!!!
posted by figarok492na at 17:51| Comment(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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