どんよりとしたお天気の一日。
雨降り。
気温も少し下がる。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
気圧と湿度のWパンチ。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
加計学園問題で柳瀬唯夫元首相秘書官が首相官邸での学園関係者との面会を認めれば、国会での審議復帰を立憲民主党が検討中という。
院外の声も圧力になったか。
審議拒否は自民党や公明党も平然と行ってきたことだけれど。
いずれにしても、いろいろと考えることあり。
安倍首相は昭恵夫人同伴でヨルダンを訪問し、シリア難民の対策支援を申し出ている。
自国への受け入れは拒んでおきながら、よくやるよと思わないでもない。
まあ、因循姑息な目先鼻先口先舌先の徒らしいやり口ではある。
目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
昨夜、YouTubeでセルジュ・チェリビダッケ指揮ベルリン・フィルが演奏したブルックナーの交響曲第7番(1992年4月1日、ベルリン・シャウシュピールハウス)、シギスヴァルト・クイケンさん指揮ラ・プティット・バンドが演奏したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」(1994年)、ラファエル・クーベリック指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第2番(1969年)、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』(1970年、ウィーン・ムジークフェラインザール大ホール)を聴いたりしながら作業を進めたのち、4時過ぎに寝床に就く。
8時台に目が醒め、9時半過ぎに起きる。
午前中、YouTubeでゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルが演奏したワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第1幕への前奏曲と愛の死、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、ベートーヴェンの交響曲第7番、ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲(1994年10月3日、サントリーホール大ホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ドンコ王年代記』を書き進めたりする。
ショルティとウィーン・フィルの演奏はかつて聴いたときはそれほどぴんとこなかったのだけれど、こうやって改めて聴くと、なかなか立派なものだ。
高橋弘希の『日曜日の人々』<講談社>を読了する。
巧い。
その巧さが巧さのためにだけ終わっていないのもよい。
正午過ぎ、下京図書館へ。
『日曜日の人々』、砂古口早苗の『起て、飢えたる者よ』<現代書館>、萩谷由喜子の「『蝶々夫人』と日露戦争」<中央公論新社>、生島美紀子の『天才作曲家 大澤壽人』<みすず書房>、古処誠二の『いくさの底』<角川書店>、ラファウ・ブレハッチが弾いた『バッハ・リサイタル』<ドイツ・グラモフォン>を返却し、予約しておいた小松政夫の『昭和と師弟愛』<角川書店>、伊坂幸太郎の『AX』<同>、滝口悠生の『高架線』<講談社>、吉田篤弘の『金曜日の本』<中央公論新社>、田中伸尚の『囚われた若き僧 峯尾節堂』<岩波書店>、長崎浩の『摂政九条兼実の乱世』<平凡社>、フォルテピアノのクリスティアン・ベザイデンホウトとフライブルク・バロック・オーケストラが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第12番、第11番、第13番<ハルモニアムンディ・フランス>を新たに借りる。
帰宅後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『昭和と師弟愛』を読み進めたりする。
その後、仕事関係の予定をすませる。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
目算を誤り、けっこう濡れてしまった。
雨め!
帰宅後、ベザイデンホウトとフライブルク・バロック・オーケストラが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲集を聴く。
技術面表現面ともに優れたベザイデンホウトの独奏がまずもって聴きもの。
加えて、フライブルク・バロック・オーケストラがまた達者だ。
聴いていて、実に清々しい。
夕飯後、YouTubeでショルティ指揮シカゴ交響楽団が演奏したベートーヴェンの劇音楽『エグモント』序曲と交響曲第5番、ラヴェル編曲によるムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』とベルリオーズの『ファウストの劫罰』からラコッツィ行進曲(1990年4月15日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
『昭和と師弟愛』を読了する。
喜劇人小松政夫が、師匠の植木等との関係を中心にしつつ、自らの来し方を振り返った一冊。
ああ、面白かった!!
続けて、『AX』を読み始める。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2018年05月02日
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