2018年03月18日

京都市交響楽団第621回定期演奏会

☆京都市交響楽団第621回定期演奏会

 指揮:ジャンルイジ・ジェルメッティ
 独奏:ルイジ・ピオヴァノ

 座席:3階LB1列5番
(2018年3月18日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)


 1980年代から90年代にかけてクラシック音楽、中でもオーケストラ音楽をよく聴いていた人間にとって、イタリア・ローマ生まれの指揮者ジャンルイジ・ジェルメッティは、割合馴染み深い指揮者の一人ではないだろうか。
 手兵シュトゥットガルト放送交響楽団と来日していたし、EMIレーベルやカプリッチョ・レーベルなどから少なくないCDもリリースされていた。
 ジェルメッティがシュヴェツィンゲン音楽祭で指揮した上演のビデオで、ロッシーニの一幕物のオペラに慣れ親しんだ人も少なくあるまい。
 その後も国内のオーケストラには客演していたし、確かアジア・オーケストラ・ウィークの一環としてシドニー交響楽団とも来日していたはずだが、師匠のセルジュ・チェリビダッケに似てかレコード録音をあまり好まないらしく、今では若干知る人ぞ知るといった存在となっている。
 そのジェルメッティが京都市交響楽団の定期演奏会の指揮台に立つというので、迷わず足を運んだ。

 プログラムの1曲目は、ロッシーニの歌劇『ウィリアム・テル』序曲。
 とりわけ終曲の「スイス軍の行進」で膾炙された有名曲中の有名曲で、ジェルメッティにとっても得意の一曲ということになるのではないか。
 で、冒頭のチェロの独奏からぐっと惹き込まれる。
 音楽の要所急所を押さえた、劇場感覚に富んだ演奏であることにもちろん違いはないけれど、それとともに、ロッシーニならではの「何か」がしっかり伝わってくる演奏でもある。
 と、こう書くとあまりにも抽象的に過ぎるのだけれど、いわゆるロッシーニ・クレシェンドといった強弱の差異やリズム感、テンポ感とともに、チャララチャララチャララといったロッシーニの作品によく現れる音の流れというか、音型が明確に示されていたのだ。
 かなうことなら、『セミラーミデ』や『絹のきざはし』、『どろぼうかささぎ』といったほかの序曲も聴いてみたかった。

 続いては、ジェルメッティと同じくイタリア出身のピオヴァノをソロに迎えたドヴォルザークのチェロ協奏曲が演奏された。
 これまた有名曲中の有名曲だが、ルーティンに陥った演奏とはまさしく極北にあるかのような、清新で充実した内容の音楽が生み出されていた。
 ピオヴァノは、その容姿にぴったりなスタイリッシュでべとつかないクリアな音楽の造り手。
 それでいて、歌唱性、歌心にも非常に富んでいる。
 中でも第2楽章や第3楽章でのソロの美しさに、心を強く動かされた。
 ジェルメッティはチェロとオーケストラ(例えば木管楽器のソロ)の密接な関係など作品の構造をよく把握した上で、ドラマティックな音楽を再現していた。
 チェロが登場する直前のホルンのたっぷりとしたソロなど、聴かせどころをよくわかっている。

 休憩を挟んだ後半は、十八番とでも呼ぶべきラヴェルの道化師の朝の歌、亡き王女のためのパヴァーヌ、ボレロのこれまた有名曲3曲が間に拍手を入れない形で演奏されていた。
 近代オーケストラの機能美とともにグロテスクな音塊というか狂暴さをも示した道化師の朝の歌、粘らず情に棹ささず、それでも、いやだからこそノーブルで美しい亡き王女のためのパヴァーヌ、そして間を置かず始まるボレロ。
 いやあ、オーケストラっていいな、と改めて感じさせられた。
 京都市交響楽団も精度の高い演奏で、ジェルメッティの音楽づくりによく応えていた。

 最後は、盛大な拍手の中、今年度末で卒団となるコンサートマスターの渡邊穣と第2ヴァイオリンの後藤良平(どことなく浅田次郎に似ている人で、印象深い)を花束で労い幕を〆た。

 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 19:21| Comment(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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