2018年02月17日

京都市立芸術大学 院生オペラ公演 モーツァルトの歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』

☆京都市立芸術大学 第157回定期演奏会 大学院オペラ公演
 モーツァルト:歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』全曲

 指揮:奥村哲也
 演出:今井伸昭
 管弦楽:京都市立芸術大学アカデミーオーケストラ
(2018年2月17日14時開演/京都市立芸術大学講堂)


 道徳道徳と大仰に宣う人間にかぎって、因循姑息で忖度大好きと道徳のかけらもモラルのかけらもない、節操のない人間だったということがしばしばある。
 物事の上っ面や大きな声に惑わされちゃいけないという見本だが、モーツァルトの歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』が19世紀のヨーロッパにおいてアンモラルの象徴であるかのように扱われていたことにも、何やら同じ臭いを感じないではいられない。
 哲学者ドン・アルフォンソの口車に乗せられた青年士官フェランドとグリエルモは、自らのいいなずけであるフィオルディリージ・ドラベッラ姉妹の操を確かめんがために、アルバニア人の貴族に扮して二人に恋のアタックを仕掛けるが…。
 という『コジ・ファン・トゥッテ』の筋書きは、一見確かに、んんんと???だらけだ。
 女性の貞節を試すってだけでもなんだかなあなのに、しかもその女性たちがころりと落ちてしまうなんてナンセンス。
 おまけにアルバニア人への変装などというご都合主義、プラウダでなくとも「音楽ではなく荒唐無稽」と糾弾したくなる向きもいるのではないか。
 だけど、よおく考えよう深読みは大事だと!
 女はみんなこうしたもの。
 ということは、裏返せば男もみんなこうしたもの、人間みんなこうしたものという含意があるのでは?
 小間使いデスピーナのはっちゃけた策謀も手伝って、自らの心の動きを正直に晒してしまうのは女性二人だけではなく、男性二人も同じこと。
 それに、いらんことしいのドン・アルフォンソだが、彼は彼でフェランド・グリエルモが扮した異邦人の二人を大親友と紹介して恥じるところがない。
 当然、同時代の枠組みに沿う形ではあるけれど、台本書きのロレンツォ・ダ・ポンテと組んだ他の二作品『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』同様、『コジ・ファン・トゥッテ』もまた、攻めの姿勢に富んだ革新的で確信的なオペラなのだ。
 しかも、それを頭でっかち口先ばっかりに終わらせず、非常に美しい音楽でもって表現してみせたところがモーツァルトの素晴らしさである。

 と、なんだかそれっぽい言葉を書き連ねてしまった。
 17日、18日と二日にわたって開催される、京都市立芸術大学第157回定期演奏会、大学院オペラ公演『コジ・ファン・トゥッテ』のうち、青木美沙季(フィオルディリージ)、川口浩穂(ドラベッラ)、藤居知佳子(デスピーナ)、喜納和(フェランド)、宮尾和真(グリエルモ)、浦方郷成(ドン・アルフォンソ)が出演する17日の回を観てまず思ったことも、いやあ、モーツァルトの作曲した音楽ってなんて美しいんだろうということだった。
 アリアもそうだけど、特に『コジ・ファン・トゥッテ』は重唱、アンサンブルの旋律美というか、音楽の磨かれ方が半端ない。
(あと、レチタティーボがまたきれいなのだ)
 たとえそれが激しい憤りを表すものであったとしても、いぎたない音楽に陥ることはない。
 あれこれ想い、あれこれ考えつつも、結局音楽の魅力に心を動かされてしまった。
 アリアでの技量声質の長短をはじめ、歌唱演技両面での個々の課題も聴き受けられたが、それは院生の皆さんや指導の先生方が十分承知していることだろうからくどくどと記すことはしない。
 限られた時間の中で、一つの公演として成立させきった出演者の皆さんの努力と健闘をまずは大きく讃えたい。
 大石ではなく大橋吾郎っぽさをなぜだか感じたノーブルな声質の持ち主の宮尾君(彼は、こんにゃく座みたいな歌芝居やミュージカルにも向いているような気がする)、豊かな声量でコメディエンヌぶりを発揮した藤居さんが強く印象に残った。
(もし何か付け加えることができるとすれば「外側の視点」の重要性、言い換えれば、学校で基礎の部分をしっかり押さえつつ、そこに何を足していくかということだろうか。院生の皆さんに余裕がないことは承知の上で、オペラをよりよく演じていくためには、もっと他のジャンルの音楽、演劇、古典芸能、映画、美術といったものに触れておいたほうがよいと強く思う。今日接したすべての人がいわゆるプロの歌劇団にもし所属しないとしても、地域のオペラなどの中核を担うことはもちろんありうるだろうし、実はそちらのほうがなおのこと「オペラというパッケージ」以上の何かが必要とされるだろうから)

 ピリオド・スタイルとまでは言わないが、奥村哲也は要所急所をしっかり押えつつ、間然とするところのない引き締まった音楽をつくり出していた。
 大学院生を主体とするオーケストラも、それによく応えていた。

 オーソドックス中のオーソドックスというか、シンメトリーアンシンメトリーといった登場人物の配置に動き、くすぐりの仕掛け方等々、終演後直接お伺いした通り今井伸昭の演出は教育の場として基礎を踏まえることに主眼が置かれたものだったが、最後の最後の目配せに「全てわかっている」という演出家としての矜持を感じもした。

 そうそう、「外側の視点」という意味では、座席が相当埋まってきているというのに、職員の方から適切な案内がなかったことはとても残念だった。
 あと、バスの時間は貼り出してあったのだけれど、この時間だとここでは満員になってしまうので、どこまで歩けば別のバスに乗れるとか、そういった細かい案内も必要なのではないか。
 いくら無料招待の公演とはいえ、正直あれでは不親切に過ぎる。
 せっかく院生の皆さんが熱演を繰り広げているのだもの、それ以上のフォローを教職員の方々には切にお願い申し上げる。

 なんて偉そうなことを言いつつも、やっぱりモーツァルトのオペラはいいな。
 愉しい時間を本当にありがとうございました。
 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 20:17| Comment(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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