☆武満徹のノヴェンバー・ステップスを初めて聴いたとき
立花隆の労作『武満徹・音楽創造への旅』<文藝春秋>のノヴェンバー・ステップスの作曲あたりの部分を読んでいて、この曲に初めて接したときのことを思い出した。
1988年2月25日というから、ちょうど30年前。
山田一雄指揮京都市交響楽団の第302回定期演奏会がそれだ。
立命館大学に合格し、下宿先を探しに京都を訪れていた僕は、同行の母と別れて、一人京都会館へと向かた。
そうそう、開演前に入った京都会館の食堂で、なんと指揮者のヤマカズさんにかち合って(あとちょっとでぶつかりそうになった。小さい人だなあと思ったが、指揮台のヤマカズさんは大きく見えた)、とてもどぎまぎしたものだ。
プログラムは、モーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」にシベリウスの組曲『恋人』、そして武満徹のノヴェンバー・ステップスと、ヨーロッパ・スタイルというか、プロのオーケストラの定期演奏会ならこうでなくちゃと言いたくなるようなラインナップだった。
正直、奮発してS席を購入したものの、長崎市公会堂と「遜色のない」京都会館第1ホールのデッドな音響には辟易したし、演奏自体も、実力が格段にアップを果たした近年の京響と比べれば相当水準の劣るものでもあったが、管楽器のみのモーツァルト、弦楽器のみのシベリウス、和楽器の交じった編成の大きな武満徹という組み合わせは、静と動のコントラストやインティメートな雰囲気といった曲調も含めて、非常に優れていたと今になって思う。
事実、ヤマカズさん自身が感極まったシベリウスの弦の震えにはぞくぞくっときたし、なんと言っても初演者である尺八の横山勝也、琵琶の鶴田錦史が顔を揃えたノヴェンバー・ステップスの濃密な音楽空間、特に横山さんと鶴田さんのやり取りには大きな衝撃を受けたものだ。
よくよく考えてみたら、あれ以来、武満徹のノヴェンバー・ステップスは、実演はおろか、放送CDともに全曲をまともに一度も耳にしたことはないのだが、僕はそれでよいと思っているのである。
2018年02月09日
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