2018年01月01日

新年あけましておめでとうございます!!

 新年あけましておめでとうございます!!
 旧年中は本当にお世話になりました。
 改めて心より感謝を申し上げます。
 そして2018年も何卒よろしくお願いいたします!!


 年が明けてすぐに実家に電話をかけ、両親に新年の挨拶をすませる。
 迷惑をかけてばかりの子である、反省しきり。


 その後、4時少し前に寝床に入ったが、いろいろと考えごとをしていて、結局5時台まで眠れず。
 しかも、8時台には目が醒め、9時半少し前に起きた。

 その間、NPO Radio4でニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したブラームスのヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番(協奏曲の独奏はギドン・クレーメル/1996年3月24日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)、ABCラジオの『日曜落語〜なみはや亭〜』で桂吉弥さんが演じた『地獄八景亡者戯』の最後の部分と三喬時代の笑福亭松喬さんが演じた『らくだ』、六代目笑福亭松鶴さんが演じた『正月丁稚』、NHK・FMの『ラジオ深夜便』で柳家さん喬さんへのインタビューの後半部分、ABCラジオに戻って『征平・吉弥の元旦も全開!!』を聴く。
 アーノンクールが指揮したブラームスは、クレーメルの独奏ともども非常に癖の強いもの。
 ブラームスの音楽の持つぎくしゃくとした感じがよく再現されていた。
 だからこそなお、ブラームスの旋律美や抒情性、ロマンティックな雰囲気も現れていたのだけれど。
 一方、松喬さんが演じた『らくだ』では、くず屋が酔ってらくだの亡骸をぞんざいに扱う部分と、その亡骸を漬物樽に放り込んで葬斂に出かける際、長屋の連中が冷淡な態度をとることに対して、くず屋がらくだの意外な一面(子供たちへの優しさ)を語る対比が強く印象に残った。
 その前の、「人間のくず」というくず屋の自嘲が効いている。
 また、松鶴さんでは冒頭の「正月は冥途の旅の一里塚…」がよい伏線となっていた。


 それにしても、クラシック音楽や落語に限らず、こうして「古典」、それも上質のものに接していて強く感じるのは、桎梏を桎梏と感じるにはそれなりの才能が必要だということだ。
 そして、桎梏を桎梏と感じるからこそ、次のステップへ踏み出すための激しい葛藤も起こり得るのだと思う。
 むろん、そのためにも「古典」を学ぶこと、基礎をしっかりと積むことが重要なのだろうが。
 新年早々、自省あるのみである。
 まさしく、めでたくもありめでたくもなしか。


 皆さん、よいお正月をお過ごしくださいませ。
 風邪など召しませんように。
posted by figarok492na at 11:11| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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