2017年09月04日

デトロイト交響楽団の動画を愉しんだ(早めのCLACLA)

 どんよりとした感じの強いお天気。
 青空は見えつつも。

 気温はあまり上昇せず。
 過ごしやすし。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。


 右脇腹の重痛みが続く。
 悪い病気ではないのか心配だ。
 そして、両耳の不調も続く。


 北朝鮮の核実験が大きく取り沙汰されている。
 北朝鮮そのものはもちろんのこと、そうした核技術が他国に流れた場合のことも考えると、確かに重大な問題で激しい憤りを感じる。
 加えて、北朝鮮の動向が安倍内閣の諸問題を糊塗する材料、さらには北朝鮮の脅威を煽ることによって国内世論を一方向に導くことに巧く利用されている点にも腹立たしさを覚える。
 本当に度し難い。
(ただ、だからといって威勢のよい発言を繰り返すこともやはり辞しておきたい。挑発にやすやすと乗ることは、結果として相手を利するだけになるだろうからだ)


 元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。
 という平塚らいてうの言葉をふと思い出す。


 目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたネーメ・ヤルヴィ指揮デトロイト交響楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』、リャードフの音楽の玉手箱(たぶん、オッフェンバックの『ホフマン物語』のオランピアのアリアを意識しているはず)、スーザの星条旗よ永遠なれ(2014年12月13日、デトロイト・オーケストラホール)、ロベルト・トレヴィーノ指揮デトロイト交響楽団が演奏したギョーム・コネソンのコスミック・トリロジーから第1部「アレフ」、ストラヴィンスキーの『火の鳥』組曲(2015年1月31日、同)、レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団が演奏したヒナステラの『エスタンシア』から4つの舞曲(同年4月17日、同)を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。


 9時過ぎに起きる。

 午前中、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたペル・テングストラントとネーメ・ヤルヴィ指揮デトロイト交響楽団が演奏したステンハンマルのピアノ協奏曲第1番(リヒャルト・シュトラウス等と同)、ハンヌ・リントゥ指揮デトロイト交響楽団が演奏したショスタコーヴィチの交響曲第5番(2015年5月9日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』を書き進めたりする。


 木内昇の『光炎の人』下<角川書店>を読了する。
 郷司音三郎と彼を取り巻く人々の変遷を通して、日本という国の近代化の明と暗、歪みを克明に描いた作品。
 そして、過去はそのまま現代の日本に繋がっているということも強く思い知らされる。
 木内さんの表現者としての矜持も二重三重に示されていた。
 ああ、面白かった!!


 午後、yleのサイトにアップされたアンドラーシュ・シフ指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第80番とモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」(2016年3月10日、ヘルシンキ音楽センター・コンサートホール)、タカーチュ・カルテット他が演奏したシューベルトの弦楽4重奏曲第15番他<DECCA>、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたスラットキン指揮デトロイト交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第4番(2015年4月25日、デトロイト・オーケストラホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、ササハラ組の『鴨川☆ラヴァーズ』の台詞をさらったり、畑野智美の『家と庭』<角川書店>を読み始めたりする。


 まもなく外出し、錦湯さんへ。
 The錦湯なり。
 それじゃあ、行って来ます!
posted by figarok492na at 18:35| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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