どんよりとしたお天気の一日。
気温も上昇し、蒸し暑い。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
体調、今一つ。
気圧と湿度のWパンチ。
そして、両耳の不調も続く。
元首相の羽田孔が亡くなった。82歳。
黙禱。
昨夜、YouTubeにアップされたアンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮hr交響楽団が演奏したワーグナーの『リエンツィ』序曲、『さまよえるオランダ人』序曲、『ローエングリン』第1幕への前奏曲(2017年6月24日、クロスター・エーベルバッハ修道院)、『タンホイザー』序曲、『パルシファル』第1幕への前奏曲(2015年6月28日、同)、『トリスタンとイゾルデ』第1幕への前奏曲と愛の死(2014年8月22日、同)を聴いたりしながら作業を進めたのち、4時少し前に寝床に就く。
9時少し前に起きる。
午前中、スロヴァキア・フィルハーモニック(オーケストラだけではなくホールを含む全体的な組織)のサイトにアップされたジェイムズ・ジャッド指揮スロヴァキア・フィルが演奏したドホナーニの交響的瞬間(2016年11月18日、スロヴァキア・フィルハーモニー・コンサートホール)、エマニュエル・ヴィヨーム指揮スロヴァキア・フィルが演奏したブリテンのマチネ・ミュージカル(2014年12月12日、同)、クリスティアン・ベンダ指揮スロヴァキア・フィルが演奏したシューベルトの『ヒュドラリウスを弾く悪魔』序曲(2016年2月18日、同)、トマーシュ・ブラウナー指揮スロヴァキア・フィルが演奏したグラズノフの演奏会用ワルツ第1番(2017年1月5日、同)、トーマス・ザンデルリンク指揮スロヴァキア・フィルが演奏したブラームスの悲劇的序曲(2014年11月7日、同)、ヤン・ターリヒ指揮スロヴァキア・フィルが演奏したスメタナの『二人のやもめ』序曲(2015年1月8日、同)、イラン・ヴォルコフ指揮スロヴァキア・フィルが演奏したワーグナーの『ローエングリン』第1幕への前奏曲(2017年4月28日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』について考えたり、菊池良生の『ドイツ三〇〇諸侯』<河出書房新社>を読み進めたりする。
スロヴァキア・フィルハーモニーの音源は演奏会によって音量が小さいものがあるけれど、ヴァラエティに富んでいて面白い。
午後、スロヴァキア・フィルハーモニックのサイトにアップされたジャッド指揮スロヴァキア・フィルが演奏したヤン・レヴァスラフ・ベラの『鍛冶屋ヴィーラント』序曲第1番、ハイドンのベレニーチェのシェーナとモーツァルトの『後宮からの逃走』から「あらゆる拷問が」(ソプラノのシモーナ・ユーダ・サトゥロヴァの独唱。2015年5月14日、同)、ペトル・アルトリヒテル指揮スロヴァキア・フィルが演奏したベートーヴェンの『シュテファン王』序曲(同年2月13日、同)、ヘイコ・マティアス・フォルシュター指揮スロヴァキア・フィルが演奏したフンメルの『ギーズ家のマティルデ』序曲(同年11月12日、同)、ボヤン・ヴィデノフ指揮スロヴァキア・フィルが演奏したウェーバーの『魔弾の射手』序曲(2017年3月16日、同)を聴く。
ベラとフンメルの作品はとても珍しいもので、嬉しい。
仕事関係の予定をすませる。
その後、スロヴァキア・フィルハーモニックのサイトにアップされたケリ・リン・ウィルソン指揮スロヴァキア・フィルが演奏したチャイコフスキーの幻想序曲『テンペスト』(2015年12月4日、同)、ラルフ・ヴァイケルト指揮スロヴァキア・フィルが演奏したリムスキー=コルサコフの序曲『ロシアの復活祭』(同年4月10日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』について考えたりする。
『ドイツ三〇〇諸侯』を読了する。
その文体、歴史把握(当時の諸状況への考察をほぼ抜きにして「諸侯」の動向のみから歴史を読み解く姿勢)にはどうしても粗さを感じずにはいられなかったが、あとがきの、
>(旧約聖書のバベルの塔の逸話を引いたのち)バベルは混乱を意味する。しかし神がなし給うことに過ちはあり得ない。だとすればバベル=混乱は彩り豊かな多様性の意となる。一色に染まることの恐ろしさに比べれば多少の混乱のほうがよっぽどましである<
という一文には、著者のアクチュアリティを感じたことも事実だ。
まもなく外出の予定。
14回目となるThe錦湯なり。
それじゃあ、行って来ます!
2017年08月28日
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