☆『ほそゆき』のパイロット版7
七
「あう、あう、あう、あう」
主任補佐の松本がいつものように発作を起こしている。いつものことなので、誰も気に留めない。もしくは、気に留めないそぶりを見せている。佳穂も同じだ。
「あう、あう、あう、あう」
と繰り返してから、松本の発作はようやく治まった。
と、今度は局次長の石室が、ぜいぜいぜいと咳をし始める。
ファイル類で間を挟んだ真向かいの席の泉はファッション雑誌を読みふけり、右隣の席の粕谷は半月前から欠勤し続けたままである。
「なあ、野川さん」
左隣の席の高鍋が低く押し殺した声で尋ねてきた。佳穂は手を止めて、
「なんですか」
と訊き返した。
「野川さん、ほんま真面目やなあ」
「真面目」
「そうやない、今日もずっと仕事してるんやもの」
「だって、それは」
という佳穂の言葉を遮るように、
「まあ、水無瀬さんに頼まれてるんやからしゃあないよね」
と言って、高鍋はクラッカーを口に入れた。口の周りに付いた小さなかすが机の上へと落ちて行く。
「仕事頼むんなら、あの子に頼めばいいのに。そのための派遣さんやろう」
高鍋は佳穂と同じ列の一番右端の仁科を顎で指すと、ペットボトルのコーラを口に含んで、うぶっとげっぷをした。仁科は完璧なブラインドタッチでPC作業を進めている。
「そら、水無瀬さんはあと一年半もすれば移動やろうけど。あたしらはずっとここか支所なんやから。そこら辺のこときちんと理解しといてもらわんとあかんわ。野川さんもそう思うやろ」
「私は」
高鍋は佳穂の返事を聞こうともせずに立ち上がり、右手で背中をせわしなく掻きながら部屋を出て行った。
ぜいぜいぜい、と石室がまた重苦しい咳を始めた。
2017年08月18日
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