☆『ほそゆき』パイロット版4
五の一
「それで、そのあとどないなったの」
冷蔵庫に千枚漬けの入ったタッパーを収めた聡子が、俊明の隣の椅子に腰掛けて尋ねた。俊明は妻と娘の会話を聴くとはなしに聴きながら、お茶漬けを流し込んでいる。
「サイン会には並ばれへんかったけど、イベントには参加してはった」
雪子はそう言って麦茶を口に含んだ。
「なあんや」
と、つまらなさそうに応じると、聡子も麦茶を口に含んだ。
「なあんやてなんや」
お茶漬けを食べ終えた俊明が口を挟む。聡子は俊明の茶碗に麦茶を注いだ。
「だって、もっとなんかおかしなことになるんやないのかなあて」
「おかしなことなんて、それ以上起こるわけないやないか」
という俊明の言葉に、雪子は黙って頷いた。
「それで、ごはんはすませてきたの」
「うん。詠美ちゃんと二人で」
「何食べたん」
「シェーキーズのピザとかパスタ。ついでにカレーも」
「ふうん」
聡子が菓子盆から胡桃の柚餅子を摘まんだ。聡子につられて雪子も菓子盆に手を伸ばした。
「まあだ食べるんか」
「ええやないの、別腹別腹」
野川家の女性は皆、健啖家であるにも関わらずスリムな体系を維持している。
「ほんまに母娘やなあ」
そう言って立ち上がった俊明に向かって、
「どこ行かはるの」
と聡子が尋ねた。
「どこて、歯磨きやないか」
「詠美がお風呂に入ってるやない」
「あっ、そうやった」
俊明は自分の使った食器類を器用に重ねて手にすると、シンクで軽く水洗いしてから備え付けの食洗機に並べた。
「おおきに」
「滅相もない」
俊明はそのまま居間に足を向けると、テレビで衛星放送の邦画を観ている聖子に、
「ごっつぉはんでした」
と声をかけた。
「よろしゅうおあがり」
と返事をした聖子は再びテレビに視線を移した。俊明は俊明でテーブルの上の夕刊を手に取り、老眼鏡をかけてそれを捲り始めた。
2017年08月12日
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