2017年08月04日

『ほそゆき』のパイロット版の続き

☆『ほそゆき』のパイロット版の続き





「野川さん」
 百万遍側の門を出ようとしたところで、雪子は急に呼び止められた。驚いて振り返ると、学部のときに同じゼミだった平原が立っていた。こけしのような頭の形をした平原は、満面に笑みと汗とを浮かべていた。雪子は思わず顔を伏せた。
「いやあ、奇遇やね」
 相変わらず平原の声は大きい。
「野川さん、勉強」
「うん」
 雪子は小さく頷いた。
「流石は院生やな」
「そんなことはないけど」
 と言ったきり、雪子が続きを口にしないことに痺れを切らしたか、
「僕もちょっと勉強に。実は、僕も院を受けようと思うてな。ほら、慎澄社って大手の出版社に僕入ったやろ。けどなあ、やっぱりサラリーマンは僕には向いてへんわ。上司がパワハラ。むちゃくちゃえげつないねんな。もうこんなとこいたら絶対殺されてまう思うて、それですぐに見切りつけたんや。まあ、もともと研究者もありやと思うてたし」
と、平原は言い募った。
「そう」
「そうやで、野川さんにはわかってもらえへんやろうけど、社会はそんなに甘ないわ」
 平原が左右に大きく手を振った。
「ところで、野川さんはマジノ線についてどう思う」
「えっ」
「いや、野川さん、フランス現代史が専門やろ。マジノ線についても一家言あるんやないかと思うてね」
「私は、人民戦線の女性政策について研究してるから」
「だから、マジノ線についても何か考えがあるんとちゃうの。マジノ線も女性政策も国家防衛という意味では軌を一にしてるはずやろう」
「ううん」
 と言って、雪子は黙り込んだ。
「まあ、ええわ。僕はマジノ線について研究するつもりやから、そのときはよろしくな。そうそう、会社の上司には馬鹿にされたんやけど、にっぽん政府はにっぽん海沿岸にマジノ線みたいな防壁を築くべきやと僕は思うてんねん」
「日本海、沿岸」
「そう。北朝鮮からミサイルが飛んで来たら、壁からびゅんってバリアを張って撥ね返すんや」
「バリアって。そんなこと、でき」
「いやいやいやいや、にっぽん国の科学技術を結集したら不可能な話やないよ。そや、野川さん今から時間ある。お茶でもしながらマジノ線について話せえへん。お茶ぐらい、心配せんでも僕が奢るから」
「ごめん、今から用事あるし」
「そうなんや」
 と、平原は不服そうに応じると、
「こんなん言うのはなんやけど、野川さんのそういうとこちょっとあかんと思うな」
と付け加えた。
posted by figarok492na at 17:20| Comment(0) | 創作に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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