☆京都市交響楽団 第614回定期演奏会
指揮:広上淳一
独奏:ピンカス・ズーカーマン
座席:3階LB1列5番
(2017年7月15日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)
614回目となる京都市交響楽団の定期演奏会は、シェフの広上淳一の指揮。
世界的な名ヴァイオリニストであるピンカス・ズーカーマンを迎え、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスの交響曲第3番の3曲が演奏された。
一曲目の大学祝典序曲は、ブラームスが名誉博士号を授与された返礼としてブレスラウ大学のために作曲されたコンサート用の序曲で、学生歌の旋律が巧みに援用されている。
タタタタタータータタタタタータータタタタタタタタータータタタ…というおなじみのメロディをはじめ、実に耳馴染みがよくて快活な音楽だが、一方でブラームスらしいリリカルさもためた作品だ。
広上さんの指揮に応え、京都市交響楽団は鳴らすべきところはしっかり鳴らし歌うべきところは歌って堂々と演奏し切った。
特に、弦楽器(コンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣)の明るさに満ちた旋律美が印象に残った。
続いては、ズーカーマンの独奏によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
少し小さめの編成に刈りこまれたオーケストラが、機能性に富んでメリハリがよくきいたクリアでスマートな演奏を行ったのに対し、ズーカーマンはオールドスタイルというと言い過ぎかもしれないけれど、嘯き鳴るというのか、明快軽やかに鳴り響くソロを披瀝した。
歌い崩したりはしないものの、節回しが自在なため、オーケストラとの演奏の違いに最初はちょっとおやと思っていたのだが、第1楽章のカデンツァにいたって、ああこのカデンツァならばそりゃああいう鳴らし方を続けなければ一貫性がないもんな、と大いに納得がいった。
強いて喩えるならば、ラストの大団円を見据えて周囲の役者陣と全く異なる重た苦しい台詞遣いを続けた深作欣二監督の『柳生一族の陰謀』の萬屋錦之助の演技ということになるか。
もちろん、ズーカーマンは重た苦しさとは正反対、軽やかに高らかなヴァイオリン・ソロだったが。
そして、カデンツァ後、ソロと共にゆっくりと目醒めていくようなオーケストラの演奏がまた美しかったのだ。
続く第2楽章の優美さ、第3楽章の軽快さも巧みに再現されていき、まさしく千両役者の名演技を観るかのような面白さだった。
これだけでももうお腹がいっぱいなのだけれど、休憩を挟んだブラームスの交響曲第3番がまた聴き応えがあった。
映画の『さよならをもう一度』で引用された第3楽章をはじめ、旋律美と抒情性に満ちあふれる一方、鬱屈した感情がときに放出されるようなウェットな激しさと全ての楽章を弱音で終えるといった作曲的な技巧が凝らされた一筋縄ではいかない交響曲でもある。
広上さんはそうした作品の持つ多様な性質を、強弱緩急を適切にコントロールしながら細やかに再現していた。
ここでも弦楽器の流麗な響きに魅せられたほか、第2楽章や上述した第3楽章ではホルンのソロ(垣本昌芳)をはじめ、木管楽器の掛け合いも魅力的だった。
(一つだけ残念だったのは、曲が終わってすぐに拍手をした人が結構いたこと。せっかくの余韻が…)
名曲の名曲たる所以を存分に知ることのできたコンサート。
ああ、面白かった!!!
2017年07月15日
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