快晴が続く。
気温はそれなりに上昇する。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
花粉禍、続く。
目の周りの痒みとくしゃみの連発に悩まされる。
そして、両耳の不調も続く。
フランス大統領選挙の第1回投票の結果、マクロン・ルペンの両候補で決選投票が行われることになりそうだ。
確かに、極右か「まだましか」の争いは気になるところだけれど、まだましでもなんでもない、それこそ極右まがいの政権が大手を振って続いている国もあるわけで、偉そうにとやかく言えることではない。
第二次世界大戦を経験して、もはやあのようなことは起こらないと安心している人もいるかもしれないが、歴史を振り返ってみればそっくりそのまま過去の事象が繰り返すようなことはないもの、社会的な諸状況の変化の中で、無理無体無法無謀の連中が多数の支持を得て蛮行を押し進めるようなことは周期的に起こっているのである。
例えば、個々の事象の評価はひとまず置くとして、当時の人々にとってナポレオンはどのような存在だったか。
いろいろと考えることあり。
安倍内閣与党は、共謀罪を強行採決することも辞さないようである。
無理無体無法無謀の連中、目先鼻先口先舌先の徒の勢いは留まるところを知らない。
その責任は僕ら自身にある。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
そして、馬鹿は罪であり一番の馬鹿は一番の罪だ。
昨夜、アルカント・カルテットが演奏したドビュッシー、デュティユー、ラヴェルの弦楽4重奏曲集<ハルモニアムンディ・フランス>、NHKのラジオ深夜便(石田純一が出ていて、様々なことを思う)を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時少し前に寝床に就く。
8時過ぎに目醒め、NHK・FMの『きらクラ!』の再放送(湯山玲子がゲスト出演)を聴きながら考え事をしたのち、8時50分頃起きる。
フェルディナント・ライトナー指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」&バレエ音楽『レ・プティ・リアン』序曲<ドイツ・グラモフォン/タワーレコード>、NHK・FMの『クラシックの迷宮』の再放送(マンドリンの特集)を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進める。
11時過ぎに外出して、仕事関係の用件を片付け、郵便局や銀行を回り、買い物をすませて帰宅する。
午後、カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団他が演奏したモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』全曲<ドイツ・グラモフォン>を久しぶりに聴く。
タイトルロールのヘルマン・プライをはじめ、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、エディト・マティス、タティアナ・トロヤノスら粒ぞろいの歌手による録音で、高校に入りたての頃だから30年ほど前に購入したCDである。
例えば、手元にあるニコラウス・アーノンクールが指揮した録音であるとか、テオドール・クルレンツィスが指揮した録音と比べると、そのオーソドックスな音楽運びには歴史を感じることも事実だけれど、一方で精度が高くて均整のとれたアンサンブルにほれぼれとすることも確かだ。
そして、その精度の高さ、均整のとれたアンサンブルという点でこのベームが指揮した『フィガロの結婚』が、単にオペラに留まらず、音楽に留まらず、演劇公演を判断する際の基準にすらなっていることを改めて確認できた。
続けて、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番から第1楽章(1962年録音)、ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルが演奏したドヴォルザークの交響曲第8番から第4楽章、フィッシャー=ディースカウがイェルク・デームスのピアノ伴奏で歌ったレーヴェの『オイゲン公』、マルタ・アルゲリッチが弾いたショパンのスケルツォ第2番、ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第3番から第3楽章、ギドン・クレーメルとロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルが演奏したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲から第3楽章、バリトンのジョセ・ヴァン・ダムとカラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏したビゼーの歌劇『カルメン』から「闘牛士の歌」、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルが演奏したワーグナーの歌劇『ローエングリン』から第1幕への前奏曲<以上、同/音楽之友社刊行『ドイツ・グラモフォン完全データ・ブック』添付>を聴く。
仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進めたり、中山咲の『血と肉』<河出書房新社>を読み進めたりする。
『血と肉』は、妊娠小説のようだ。
まもなく外出して、錦湯さんへ。
新生第4回目となる錦湯劇場だ。
今回は、久方ぶりとなる笑福亭笑利さんほかの出演予定。
愉しみなり。
それじゃあ、行って来ます!
2017年04月24日
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