☆ジャン・ロンドー チェンバロ・リサイタル
楽器:ヤン・カルスペック製作 ジャーマン2段チェンバロ(M.ミートケモデル)
座席:1階B列1番
(2017年4月9日14時開演/兵庫県立芸術文化センター小ホール)
この二年ほど二週間に一回の割合で、信頼のおける親しい友人に紹介してもらった整体院に通っている。
ブログなどで身体のメンテナンスと記しているものだが、これが実にありがたい。
ごりごりぐいぐいの力任せとは全く正反対、身体の不調のポイントをしっかり見極め、あるときは強弱のバランスをとりながら動かし、あるときは緩急のテンポを変えながらさすり、あるときは指をあてて固まり強張った場所をじっくり緩めていく。
ここのところ、それなりにデスクワークが進んでいるのも、この身体のメンテナンスのおかげである。
フランスの若手チェンバリスト、ジャン・ロンドーが弾くヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲を聴いていて、僕はすぐに身体のメンテナンスのことを思い出した。
一つには、座った席の加減で、ロンドーの両手の動きがしっかり目に入ったからでもあるのだが、その演奏の進め具合と生み出された音楽そのものに身体のメンテナンスと通じるものを感じたからだ。
ロンドーが弾いたゴルトベルク変奏曲には、様々な仕掛けが施されいた。
ただ、それは理知的にしっかりと構築されたものというよりも、感興感情に忠実というか、ロンドーの心の動きが透けて見える(聴こえる)ものともなっていた。
だいいち、ロンドーはこの曲を一つの音楽の流れとして一気呵成に弾き切るのではなく、変奏変奏のまとまりごとに休止を挟んで演奏したのである。
で、そうした休止・中断に若干のもどかしさを感じる反面、一つ一つの変奏の性質表情、音楽の旋律や構造の美しさがゆっくりとしたテンポで丹念に示されていた点には、それこそ心のメンテナンスというのか心地よさを感じたことも事実で、時折小さな寝息の音が客席から聞こえてきたこともやむをえないとまで思ったほどだ。
(そういえば、広上淳一さんが京都市交響楽団を指揮してエルガーのエニグマ変奏曲を演奏したときも、変奏ごとに休止が入って同様の感想を持ったのだった)
もちろん、ロンドーの演奏が実は緩急自在のものであることは、ゴルトベルクの速いテンポの変奏やアンコール2曲目のラモーの未開人でよく証明されていたのではないか。
いずれにしても、興味深く聴き心地のよい時間を過ごすことができた。
なお、ちょっとしたスピーチののちに演奏されたアンコール1曲目はクープランの神秘的なバリケード(障壁)。
遠目で調子のよい鍛冶屋さんかと見間違ったが、よくよく確かめてみるとフランス紳士だったといった曲調の美しい小品である。
ああ、面白かった!!!
2017年04月09日
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