☆京都市交響楽団第609回定期演奏会
指揮:鈴木秀美
独奏:鈴木秀美(チェロ)
座席:3階LB列1−5
(2017年2月17日19時開演/京都コンサートホール大ホール)
日本におけるピリオド楽器演奏の先駆者の一人で、チェリスト・指揮者として活躍する鈴木秀美が京都市交響楽団の定期演奏会に初登場し、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、ハイドン、ベートーヴェンの「これぞ古典派!」と言いたくなるようなプログラムを指揮した。
(ちなみに、鈴木さんと京響の初顔合わせは2014年6月28日に小ホールのほうで開催されたコンサート。この時、ハイドンのオックスフォードとベートーヴェンのエロイカが演奏されているが、あいにく未聴である)
まずは、大バッハの次男であるカール・フィリップ・エマヌエルのチェロ協奏曲イ長調Wq.172から。
ガット弦を張り、エンドピンを外した状態の師匠井上頼豊譲りの楽器を手にした鈴木さんを、第1ヴァイオリン(コンサートマスターは渡邊穣)、第2ヴァイオリン(首席奏者にバロック楽器の演奏で著名な高田あずみが入っている)、ヴィオラ、チェンバロ(客演の上尾直毅)、チェロ、コントラバスによる小編成のアンサンブルが囲む。
プレトークで鈴木さんが話していたように、カール・フィリップ・エマヌエルの作品の中では「古典派」的な明解さを持った曲調だけれど、第1楽章の終盤などの音楽進行には彼らしい毒っ気の片鱗を感じたりもした。
ピリオド対応のチェロで弾き振りした鈴木さんだが、学究的な演奏とは正反対。
それこそ師匠の井上頼豊を彷彿とさせる一曲入魂的な雰囲気さえたたえる独奏で、中でも第2楽章のソロの部分では、今は亡きくるみ座の名優北村英三(源三じゃないよ)をマイルドにしたような鈴木さんの風貌もあって、役者の一人語りを耳にしているような味わいがあった。
一方、京響も統率がよくとれた演奏を披歴していた。
続いて、第1ヴァイオリンの向かいに第2ヴァイオリンを配置する「対向配置」に弦楽器を並べ替えて(ただし、コントラバスは客席から見て左側奥)からハイドンの交響曲第82番ハ長調Hob.1:82の演奏が始まる。
第82番は、パリの演奏家団体のために作曲されたいわゆる「パリ・セット」中の一曲で、コンサート・プログラムにも記されているが、第1楽章と第4楽章に熊の鳴き声のように聞こえる箇所があることから「熊」の愛称で知られている。
速めのテンポ設定、効果的な強弱急緩(と、言うより、音が遠くから近くへとどんどん迫ってくるかのような音)の変化など、ピリオド・スタイルを援用した演奏で、祝祭性や劇性等々、この作品の持つ妙味が巧みに表現されていた。
弦、管ともに京響の面々も精度が高く、ソロをはじめハイドンの音楽的な仕掛けがよくわかった。
そうそう、仕掛けといえば、この交響曲には見せかけの終止が第1楽章と第4楽章にあるのだけれど、だましが何度も続いたせいで本当に曲が終わったときしばらく拍手が起こらなかったんだった。
ハイドンもしてやったりだろう。
休憩を挟んだ後半は、運命交響楽。
言わずと知れたベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調作品番号67。
ここのところ、オットー・クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団を指揮したこの曲の録音を重ねて聴いているが、それとは対極的な…。
いや、実はそうじゃないんじゃないかな。
当然、ピリオド・スタイルを援用した演奏なんだけれど、一気呵成は一気呵成にしても、動静の静の部分、急緩の緩の部分、強弱の弱の部分といった細部までよく目配りの届いた演奏であることも確かで、そこらあたりはクレンペラーの解釈とも通じるものがある。
そして、ハイドンのハ長調のシンフォニーとあわせて演奏することによって、この曲が古典派の総決算であるとともに、そこからはみ出すものを持った新しい潮流の中にある作品であることも改めて感じさせていた。
京都市交響楽団は、ここでも好調。
音の入りで若干スリリングな箇所がなくもなかったが、全体的に水準の高い演奏を繰り広げていた。
特に、第3楽章での低弦から始まる弦楽器のざわめきや終楽章の華々しさが強く印象に残った。
終演後、激しく暖かい拍手が起こったのも当然のことだと思う。
音楽の愉しみに満ち満ちたコンサートで、心底わくわくできました。
ああ、面白かった!!
2017年02月18日
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