☆京都市交響楽団 特別演奏会「第九コンサート」
指揮:ステファン・ブルニエ
独唱:横山恵子(ソプラノ)、手嶋眞佐子(メゾソプラノ)、高橋淳(テノール)、伊藤貴之(バス)
合唱:京響コーラス
合唱指揮:小玉晃
管弦楽:京都市交響楽団
座席:3階LA1列6番
(2016年12月28日19時開演/京都コンサートホール大ホール)
師走のクラシック音楽界の風物詩といえば第九、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」だ。
ひと頃ほどの勢いはないとはいえ、今年もプロアマ問わず12月に入ったとたん第九のコンサートが全国的に開催されている。
僕自身、郷里の長崎とは違って当たり前にプロのオーケストラの第九を聴くことができる関西に移った大学の入りたての頃は、よく第九のコンサートに足を運んだものである。
記録で確認してみると、1988年12月26日の第300回定期演奏会(デヴィッド・シャロン指揮)、1990年12月26日の第330回定期演奏会(井上道義指揮)と京都市交響楽団で2度第九を聴いている。
前者のほうは、例の昭和天皇の自粛騒ぎの中ということで、ちょっとした覚悟を持って第九を聴いたはずだ。
(そうそう、かつて京都市交響楽団の12月の定期演奏会は例年第九がメイン、前プロに日本の作曲家に委嘱した新作という組み合わせで、88年は吉松隆のファゴット協奏曲「一角獣回路」、90年は北爪道夫のオーケストラのための「昇華」が初演された。それがいつの間に特別演奏会という形になったのだろう)
その後、いろいろとあって年末の第九からは遠ざかっていたのだけれど、昨年の井上道義指揮大阪フィルのコンサートで「再会」、やっぱりこれはいいやと今年も生で第九を聴くことにした。
今年は好調著しい京都市交響楽団の主催公演をチョイスする。
指揮台に上がったのは、スイス・ベルンの出身で1964年生まれのステファン・ブルニエ。
ベートーヴェン・オーケストラ・ボン(ボン・ベートーヴェンハレ管弦楽団)とボンの歌劇場を中心にコンサートにオペラと活躍中で、手兵とはMD+Gレーベルからベートーヴェンの交響曲をリリースしているし、2014年には来日してNHK交響楽団に客演を果たした。
(なお、今回はそのN響の大宮臨太郎がゲストコンサートマスターを務めていたほか、京響を卒団した清水信貴がフルートのトップを務めていた。ちなみに、今回のオーケストラはファースト・ヴァイオリンの隣にセカンド・ヴァイオリンが座る通常配置)
まずは、日替わりのモーツァルトの序曲で、昨夜は『魔笛』の序曲が演奏される。
まさしくコンサートの幕開けにぴったりのきびきびとして劇場感覚に満ちた演奏で、わくわくとした気分となる。
とともに、一昨日の『ドン・ジョヴァンニ』の序曲も含めて、曲の造りや音型など第九に通じるものが感じられたのも面白かった。
で、京響コーラスの面々が舞台上に現われたところで、再びブルニエが登場。
メインの第九が始まる。
見た目は取的力士、それもアンコ型に近いブルニエだが、造り出す音楽は実にクリアでスピーディー、ドラマティック。
いわゆるピリオド・スタイルを意識した音楽づくりだけれど、教条主義的にそれを取り入れるのではなく、音楽の展開にあわせてそれを仕掛けていく。
基本的には速めのテンポだったが、第3楽章はゆっくりとした歩みで旋律の美しさ、音楽の楽園的な雰囲気を醸し出す。
加えて、忘れてはならないのが、腑分けがよく行き届いて強弱緩急のメリハリが効いた演奏を通じて、このベートーヴェンの交響曲第9番の全体的な構造、性格結構が巧みに再現されていたことだ。
特に、第4楽章。
第1楽章から第3楽章の主題が回想されるところで、それを否定するように低弦が強く鳴らされ、さらにおなじみの歓喜の主題で低弦が登場する辺り(終演後、ブルニエはがオーケストラの中でまずチェロとコントラバスの低弦パートを立たせていたのも当然だろう)、そうだそうだそうなのだと大いに納得した。
そして、歓喜の主題が盛り上がってバスが高らかにソロを歌う辺りからの急激急速なテンポは、この曲の祝祭性、ばかりかよい意味での「気のふれた」感じが見事に表されていた。
ライヴ特有の細かい傷はあったし、より掘り下げていえば、ブルニエの音楽づくりの核となるものを心底手の内に入れるにはもう少し時間が必要だったようにも感じるが、京都市交響楽団はブルニエの意図によく沿って、水準の高い演奏を繰り広げていた。
座席の関係もあって独唱陣の歌声は若干聴き取りにくかったものの、彼彼女らの歌唱もまた祝祭性に富んだものだったし、京響コーラスも均整のとれた美しい歌声を聴かせてくれた。
一年を振り返るに相応しい演奏で、聴きに行って本当に大正解。
やっぱり年末の第九はいいや。
ああ、面白かった!!
2016年12月29日
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