文化の日。
世は祝日なり。
そういえば、自民党など一部の議員(たぶん日本会議系列だろう)に、文化の日を明治の記念日に改めようという動きがあるらしい。
もともと明治天皇の誕生日で「明治節」と呼ばれていたものが、この国の敗戦によって「文化の日」となったのだから、まさしく復古主義もよいところだ。
そして、この復古主義は家父長主義的な慈愛の精神などとは全く無縁な、それこそ剥き出しの自愛利己主義的な経済優先主義と表裏一体のものであることを忘れてはならないだろう。
結局、この国には「」つきの文化さえまともに根付いてこなかったのである。
それは、僕(ら)自身の大きな失敗であり、強く反省せねばなるまい。
晴天。
気温はあまり上昇せず。
朝晩の冷え込みが厳しい。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
特に、風邪など召しませんように。
両耳の不調が続く。
後述深夜目醒めた際に、微かな耳鳴りが気になって仕方がない。
やれやれ。
アメリカ大統領選はますます混沌としてきた。
いろいろと考えることあり。
さらには、韓国のほうも大騒ぎである。
ところが、なぜだか日本ばかりが安泰だ。
そろそろ北朝鮮がまたぞろミサイルを発射するのではないか。
いずれにしても、目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夜、リナルド・アレッサンドリーニ指揮ノルウェー歌劇場管弦楽団が演奏したモーツァルトの序曲集<naïve>、ファジル・サイが弾いたハイドンのピアノ・ソナタ集<同>を聴いたりしながら作業を進める。
吉村萬壱の『虚ろまんてぃっく』<文藝春秋>を読了する。
極北の如くかけ離れているようで、実はよしもとばななの『鳥たち』<集英社>とこの短篇集はコインの裏表の関係にあるのではないかと感じた。
2時過ぎに寝床に就き、3時45分頃目醒めてしまい、6時過ぎまで寝直せず、いろいろと考え事をする。
まず、中野重治の『雪の下』(1940年に発表された、同年初頭の北陸各地の訪問をもとにしたレポート)を下敷きにした『ふゆのたび』という短篇小説を思いつく。
この間考えてきた、中野重治と横溝正史の関係について虚構化しようという試みであり、『狗神家の一族』のエピソードも関連づけようとも考えている。
ただし、この作品は中野重治の作品をしっかり読み込み、資料を揃えた上でないと書けないとも気がついた。
(『いずくにか』、『さよふけて』と、ひらがな五文字のタイトルの作品を書き続けようと意図している)
あと、来年のことをいえば鬼が笑うというが、2018年の秋頃には「京都小劇場」はほぼ解体してしまうのではないかと考えた。
もちろん、京都での小劇場演劇がなくなるわけではないし、個々の団体や人々の存在、繋がりもなくなるわけではない。
ただ、コミュニティ、システム、アジ―ル(共同体、体系、自由な領域、もしくは避難所)としての、総体的、アトモスフェア的な「京都小劇場」は大きく変容せざるをえなくなるだろう。
それは、当然のことながら、冒頭に記した剥き出しであからさまな自愛利己主義的経済優先主義(経済的格差を固定し、最低限度の再分配以外を拒否するような)とそれを補完する夜郎自大的な復古主義、自己規制を含む統制主義が蔓延する経済的政治的文化的=社会的諸状況の如実な反映である。
そうした中、無自覚な「転向」と「コンフォルミスム」も蔓延するのではないか。
自覚的ではない、あまりにも無自覚な。
そして、その萌芽は残念ながらすでに少なからず見受けられる。
8時に起きる。
午前中、ボザール・トリオが演奏したアレンスキーのピアノ3重奏曲第1番&第2番<PHILIPS>、マリス・ヤンソンス指揮ロンドン・フィルが演奏したリムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』&スペイン奇想曲<EMI>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』の改稿作業を行ったり、『ふゆのたび』についてメモしたりする。
10時台に外出して、アレンスキーとリムスキー=コルサコフのCD、『虚ろまんてぃっく』と『鳥たち』、戸田学の『上方落語黄金時代』<岩波書店>、長嶋有の『三の隣は五号室』<中央公論新社>、畠中恵の『若様とロマン』<講談社>他を返却し、予約しておいた梯久美子の『愛の顛末』<文藝春秋>、山崎ナオコーラの『昼田とハッコウ』<講談社>、古処誠二の『中尉』<角川書店>、中村文則の『あなたが消えた夜に』<毎日新聞出版>、蓮實重彦の『陥没地帯 オペラ・オペラシオネル』<河出書房新社>、ザビーネ・マイヤー管楽アンサンブルが演奏したドヴォルザークの管楽セレナード&ミスリヴェチェクの3つの8重奏曲<EMI>、マレイ・ペライアが弾いたメンデルスゾーンの無言歌集他<SONY>を新たに借りる。
帰宅後、早速ザビーネ・マイヤー管楽アンサンブルのCDを聴いたりしながら、『さよふけて』を書き進める。
午後、ペライアのCD、ドヴォルザーク&ミスリヴェチェクを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『愛の顛末』を読み始めたりする。
夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、ペライアのCDを聴いたりしながら、雑件を片付ける。
夕飯後、チョン・ミュンフン指揮ウィーン・フィルが演奏したドヴォルザークの交響曲第6番&第8番<ドイツ・グラモフォン>、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』組曲、『インテルメッツォ』の4つの交響的間奏曲、『カプリッチョ』から序奏と月の光の音楽<同>を聴いたりしながら、『御神酒徳利』の改稿作業を進めたり、『さよふけて』を書き進めたり、『愛の顛末』を読み進めたりする。
ほかに、『中野重治評論集』<平凡社ライブラリー>の拾い読みもした。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2016年11月03日
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