敬老の日。
世は三連休の最終日。
なれど、あいにくのお天気。
どんよりとした一日。
雨も強く降る。
気温は上昇しなかったものの、湿度が高い分、じめじめとしてあまり快ならず。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
気圧と湿度のWパンチ。
そして、両耳の不調が続く。
昨夜、aikoの『秋 そばにいるよ』やJUDY AND MARYの『THE POWER SOURCE』を聴いたりしながら作業を進め、2時頃寝床に就く。
で、7時過ぎに起きる。
チョン・ミュンフン指揮ウィーン・フィル他が演奏したドヴォルザークの交響曲第3番&第7番とロッシーニのスターバト・マーテル<ドイツ・グラモフォン>、アナトール・ウゴルスキが弾いたムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の筆入れと打ち直しを行ったりする。
『痾紅毛日記』は第7稿を完成させ、プリントアウトをすませる。
これが最後の筆入れ用のプリントアウトになると思う。
山下澄人の『壁抜けの谷』<中央公論新社>を読了する。
読み進めていくごとに、ぐっと心を動かされ始めた。
ああ、面白かった!
雨がやんだので10時40分過ぎに外出し、下京図書館へ。
チョン・ミュンフン指揮のドヴォルザークとロッシーニ、『壁抜けの谷』、黒川創の『鷗外と漱石のあいだで』<河出書房新社>、松田青子の『ロマンティックあげない』<新潮社>、坂口恭平の『徘徊タクシー』<同>、畑野智美の『夏のおわりのハル』<講談社>を返却し、予約しておいた本城雅人の『トリダシ』<文藝春秋>、辻村深月の『盲目的な恋と友情』<新潮社>、石田千の『家へ』<講談社>、彩瀬まるの『やがて海へと届く』<同>、川上弘美の『大きな鳥にさらわれないよう』<同>、吉田篤弘の『台所のラジオ』<角川春樹事務所>、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団他が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』&オーボエ協奏曲とヒンデミットの交響曲『画家マティス』他<ともにEMI>を新たに借りる。
いったん帰宅して本とCDを置いたのち、三条商店街のリサイクル・ショップへ。
つなぎのつなぎとして中古のCDコンポを購入する。
帰宅後、早速ソプラノのルチア・ポップがサヴァリッシュのピアノ伴奏で歌ったリヒャルト・シュトラウスの歌曲集<同>を聴く。
午後、サヴァリッシュ指揮のリヒャルト・シュトラウスとヒンデミット、チェンバロのマハン・エスファハニが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲<ドイツ・グラモフォン>、クラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラが演奏したモーツァルトのオーボエ協奏曲(アルブレヒト・マイアーの独奏)<ともに同>、アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したプロコフィエフのヘブライの主題による序曲&古典交響曲とロッシーニの歌劇『絹のきざはし』&『どろぼうかささぎ』序曲<ともに同>を聴く。
サヴァリッシュ指揮の『英雄の生涯』は、静かに閉じる終結部の版を利用したもの。
フィラデルフィア管弦楽団は実に精度の高い演奏を聴かせるが、金持ち喧嘩せずというか、若干緩さを漢字たりもした。
フィラデルフィア管のメンバーであるリチャード・ウッドハムズがソロを務めたオーボエ協奏曲のほうが音楽性に合っており、インティメートな感じもして、より聴き心地がよかった。
一方、ヒンデミットのアルバムには、交響曲のほか、ウェーバーの主題による交響的変容と組曲『気高き幻想』が収められている。
いずれも「智に働けば」的な要素が強い作品だけれど、サヴァリッシュは的確な腑分けで要所急所を巧く押さえた演奏に仕上げていた。
(他のCDを聴いての感想だけど、このCDコンポは声楽や器楽はクリアに聴こえるものの、オーケストラの演奏はちょっと重心が低いというか、こもって聴こえる部分があるように思う)
仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』を読み直したり(筆入れをせず全部読み通した)、『トリダシ』を読み始めたりする。
まもなく外出して、錦湯さんへ。
48回目となるネオ落語・セントラル(今回はどうやら月亭太遊さんはお休みで、「月亭天使のネオ落語・セントラル」のようだ)。
東京から林家けい木さんも来演の予定で、実に愉しみなり。
それじゃあ、行って来ます!
2016年09月19日
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