2016年09月11日

ブルーエゴナク『ラッパーRapper』

☆ブルーエゴナク『ラッパーRapper』

 作・演出:穴迫信一
 演出助手:杉本奈月
(2016年9月11日15時半開演の回/アトリエ劇研)


 すこぶる面白くってめっぽう心を動かされたので、終演後あれこれ語りたい。
 と、ここまでは同じでも、さらに細かく書き連ねていきたいお芝居と、あえてくどくど書きたくないお芝居の二種類がある。
 昨日のアガリスクエンターテイメントの『七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)/心の太字』が前者の代表格とすれば、北九州の劇団ブルーエゴナクが第二の拠点とも呼ぶべき京都で今回上演した『ラッパーRapper』は、さしずめ後者の典型といえるだろう。
 題名が作品を象徴する、とは『心の太字』の劇中の台詞だけれど、その題名通り『ラッパーRapper』は、ラッパーから演劇に転じた穴迫信一の渾身の直球勝負。
 野村明里演じるラッパー、メイコと彼女を取り巻く人々を通してラッパー=ラップそのものが語られ、それと不可分のものとして人の一生、人の生き死にが描かれていく。
 劇が始まって、登場人物たちがラップで掛け合うそのリズム感、ビートにまずもってすっと惹き込まれる。
 そして、メイコをはじめとした登場人物たちの言葉や姿に強く心を動かされる。
 しかも、劇の途中では、登場人物の呼びかけに僕(ら)が応じる場面まであって、ラップのライヴさながら舞台と客席の一体感がひと際生み出されまでもする。
 と、こう記すと、「なあんだそういうことね」としたり顔の訳知り顔をする向きもあるかもしれないが、この『ラッパーRapper』が神頼みならぬ感性頼み、感情一直線とは一線を画す、どころかそれとは正反対の視座が保たれた作品であることはやはり指摘しておかなければなるまい。
 いずれ再演されるだろうから、わざと詳細は省くのだけれど、ちょうどよい頃合いで跳躍する展開や、あと一歩でお涙頂戴に終わるところをさっとかわして切り上げる捻りとくすぐりを見れば、穴迫信一が全体を見通しつつ細部に到るまで目配りを届かせることのできる冷静さを兼ね備えた創作者であることがよくわかるはずだ。

 当然のことながら、そうした穴迫君のバランス感覚は演出面、俳優の起用そのものや動かし方にも十全に発揮されている。
 また、野村(普通姓だけの場合は敬称をつけるんだけど、いろいろあって演劇に関係する前から彼女のことをよく知っているので、敬称略がどうにもしっくりくる)、鈴木晴海(ただ一人、九州からの来演)、しらとりまな、佐々木峻一、月亭太遊、楳山蓮の演者陣も穴迫君の意図や作品世界に沿うべく、彼女彼らにとって最良の、といえば言い過ぎになるかもしれない(し、これまでの経験が今回の演技に繋がっている)ので、それに近い演技を披歴していた。
 むろんラップ面での努力は言うまでもないが、そこに留まるのではなく、個々の特性を表しながら各々の役柄を演じ切っていた点、並びに限られた時間の中で非常にインティメートなアンサンブルを生み出していた点を高く評価したい。

 などと気がつけば長々と記してしまっていた。
 いずれにしても、本当に観ておいてよかったと思える作品であり、公演だった。
 これでラップに目醒める人も少なくないんじゃないのかな。
 ああ、面白かった!!
posted by figarok492na at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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