晴天。
いいお天気、いい青空となる。
気温はいくぶん下がり、だいぶん過ごしやすくなる。
秋の気配を強く感じた一日。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
寒暖の差が激しいので、風邪にはお気をつけのほど。
身体が重たし。
そして、両耳の不調が続く。
北朝鮮が5度目の核実験を行ったと報じられている。
核実験核兵器の所有は、北朝鮮ならずとも度し難いことではあるが、この国のやり口(ある種のタイミング)のよさには本当に腹が立つ。
いろいろと考えることあり。
目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夜、1時少し前に寝床に就き、6時50分頃起きる。
朝一で毎週恒例の洗濯をすませる。
乾き、そこそこによろし。
ああ、すっきりした!
ラルキブデッリが演奏したモーツァルトの弦楽5重奏曲第3番&第4番<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
9時半に外出し、下京図書館へ。
三遊亭圓歌の『三遊亭圓歌ひとり語り全部ウソ。』<河出書房新社>、松波太郎の『月刊「小説」』<同>、中島京子の『長いお別れ』<文藝春秋>、樋口有介の『亀と観覧車』<中央公論新社>、ラルキブデッリのモーツァルト、ソプラノのドーン・アップショーとバリトンのオラフ・ベーアがヘルムート・ドイチュのピアノ伴奏で歌ったヴォルフのイタリア歌曲集<EMI>を返却し、予約しておいた黒川創の『鷗外と漱石のあいだで』<河出書房新社>、松田青子の『ロマンティックあげない』<新潮社>、坂口恭平の『徘徊タクシー』<同>、畑野智美の『夏の終わりのハル』<講談社>、山下澄人の『壁抜けの谷』<中央公論新社>、チョン・ミュンフン指揮ウィーン・フィル他が演奏したロッシーニのスターバト・マーテルとドヴォルザークの交響曲第3番&第7番<ともにドイツ・グラモフォン>を新たに借りる。
帰宅後、チョン・ミュンフン指揮のロッシーニとドヴォルザークを続けて聴く。
ロッシーニのスターバト・マーテルは、作品の持つオペラティックな部分とシリアスな部分がしっかり押さえられた演奏。
チェチーリア・バルトリら独唱陣もチョン・ミュンフンの解釈に沿った精度の高い歌唱を披歴している。
一方、ドヴォルザークの交響曲もチョン・ミュンフンの劇場感覚が十二分に発揮されて、音楽の持つ劇性がよくとらえられた演奏に仕上がっている。
チョン・ミュンフンとウィーン・フィルのドヴォルザークの交響曲といえば、第6番&第8番<同>の輸入盤が手元にあるが、このコンビで残りの交響曲(少なくとも、第5番や第9番「新世界より」)を録音して欲しかった。
仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の筆入れと打ち直しを行ったりする。
午後、チェンバロのマハン・エスファハニ(これまでエスハファニと記してきたが、エスファハニが正解。平にご容赦のほど)が弾いたヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲<同>やNHK・FMの『オペラ・ファンタスティカ』を聴く。
『オペラ・ファンタスティカ』では、東京二期会のモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』上演のライヴ録音(2016年7月17日、東京文化会館大ホール/サッシャ・ゲッツェル指揮東京フィル他)が放送されていたが、日本のオペラの現在の水準がよくわかる充実した内容となっていた。
仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の筆入れと打ち直しを行ったり、『鷗外と漱石のあいだで』を読み始めたりする。
夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、ベルリン古楽アカデミーの来日コンサートのライヴ録音(2016年6月23日、トッパンホール)を聴く。
ヨハン・セバスティアンとカール・フィリップ・エマニュエル父子の作品が演奏されていた。
続けて、チョン・ミュンフン指揮ウィーン・フィルが演奏したドヴォルザークの交響曲第3番&第7番、第6番を聴く。
こうして国内盤の前者と輸入盤の後者を続けて聴くと、国内盤のほうは若干すかすかというか上滑りというか、音が浅いような気がする。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の筆入れと打ち直しを行ったり、『鷗外と漱石のあいだで』を読み進めたりする。
『痾紅毛日記』は、第4稿を完成させた。
が、まだまだ。
これからが山場である。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2016年09月09日
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