今日から9月。
今年も残り4ヶ月を切った。
一日一日を本当に大切にして、自らの為したいことや為すべきことをしっかり為していきたい。
そして、死を絶対に忘れないこと。
晴天。
いいお天気、いい青空が続く。
気温も上昇し、暑さが相当記事しい。
ただし、もう9月。
夏の盛りのような暑さとは違うが。
寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
風邪など召しませんように。
防災の日。
東北地方での台風被害に、イタリア中部での大地震や昨夜九州で起こった強い地震もあって、一層いろいろと考える。
他人事ではない。
和歌山の発砲立てこもりの男は自死した。
これからこうした事件、ばかりではなく政治的なテロが横行していくのではないか。
非常に心配でならない。
目くらましの八百長猿芝居に騙されてはなるまい。
昨夜24時50分少し前に寝床に就き、7時に起きる。
午前中、チェンバロのマハン・エスハファニが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲<ドイツ・グラモフォン>やアントネッロ・マナコルダ指揮カンマー・アカデミーポツダムが演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」&第1番<SONY/BMG>、ウラディーミル・アシュケナージさん他が演奏した『ラフマニノフ・トランスクリプションズ』<DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、9月の創作活動について考えたり、『痾紅毛日記』のプリントアウトを行ったりする。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』や、ラファウ・プレハッチが弾いたショパンのポロネーズ集<ドイツ・グラモフォン>、アナトール・ウゴルスキが弾いたピアノ小品集『ショート・ストーリーズ』<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
中山可穂の『娘役』<角川書店>を読み始め、読了する。
宝塚歌劇団の「娘役」と、ひょんなことから彼女に魅了されたヤクザの男との10年の歳月を描いた作品。
面白くって、ついつい読み進め読み終えてしまった。
ああ、面白かった!
17時頃外出して、下京図書館へ。
『娘役』、篠田節子の『ミストレス』<光文社>、直原冬明の『十二月八日の幻影』<同>、原田マハの『太陽の棘』<文藝春秋>、一條次郎の『レプリカたちの夜』<新潮社>、『ラフマニノフ・トランスクリプションズ』とショパンのポロネーズ集を返却し、予約しておいた三遊亭圓歌の『三遊亭圓歌ひとり語り全部ウソ。』<河出書房新社>、松波太郎の『月刊「小説」』<同>、中島京子の『長いお別れ』<文藝春秋>、樋口有介の『象と観覧車』<中央公論新社>、ラルキブデッリが演奏したモーツァルトの弦楽5重奏曲第3番&第4番<SONY>、ソプラノのドーン・アップショーとバリトンのオラフ・ベーアがヘルムート・ドイチュのピアノ伴奏で歌ったヴォルフのイタリア歌曲集<EMI>を新たに借りる。
帰りがけ、近くのローソンでクリスティアン・ゲルハーヘルの来日リサイタルのチケットを返金する。
ゲルハーヘルの冬の旅を聴けなくなったことが、本当に残念でならない。
いったん帰宅して、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルが演奏したシューベルトの軍隊行進曲、ウェーバーの舞踏への勧誘、ニコライの歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』序曲<タワーレコード/DECCA>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
18時過ぎに再び外出して、京都芸術センターの講堂へ。
文化庁の京都への移転決定を歓迎する企画、文化政策を考える『文化庁移転と文化芸術の未来』の第1回目に参加する。
平竹耕三京都市文化芸術制作監をファシリテーターに、講師として京都市交響楽団の常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一さんと日本フィルハーモニー交響楽団の理事長平井俊邦さんが登場された。
広上さんのべしゃり(おしゃべり)の巧さは、広上さん自身が少し触れていた元AKB48の松井咲子とのラジオ番組や、同じNHK・FMの金曜夜の番組、そしてプレ・コンサートなどで重々承知している通りで、今夜も随所で笑いを誘っていたが、企画の内容もあって、今夜は京響の現状や今後についてより踏み込んだ話もあり、実に興味深かった。
例えば、150万の京都市民が年に一度でも京都市交響楽団を聴きにこようとすれば、事態は大きく変化していく、中でも教育の現場など、若い世代への働きかけが重要ではないかと指摘し、通常の定期演奏会と同一プログラムでの青少年のための定期演奏会を全国のプロオーケストラが開催していってはどうかと自らのアイデアも披歴していた。
(そして、その青少年の定期演奏会の開催について、文化庁にも要望していくとも)
一方、平井さんはもともと三菱銀行の取締役から千代田化工に転じ、さらにインテックを経て、財政状況の立て直しのために日本フィルへと入った方。
その豊かな社会経験が生み出す大人(たいじん)風のユーモアと、押さえるべきところはしっかりまじめに押さえていく話の緩急が面白い。
日本フィルが直面してきた問題や、それをどう乗り越えて来たか、また今どう乗り越えていこうとしているかを適切丁寧に説明する。
加えて、日本の文化予算についても直言されていた。
文化庁の京都移転に関しても、ただ移転するから手放しで良しとするのではなく、それではオーケストラ(表現者)の側はどうするのか、市民の方々に対してどう打ち出し、それを文化庁の政策とどう繋げていくかという視点が示されており、大いに納得がいった。
当然のことながら、これはオーケストラに留まらず、演劇やダンス、映画等々、その他のジャンルとも大きく関係してくる問題だと思う。
すでにこのブログでも何度か記してきた通り、25年以上前の学生時代から院生時代にかけてお世話になった日本フィルの事務局メンバーで早世された中島賢一さん(直接お会いしたときもそうだし、お手紙などでもいろいろとご教示を受けた)のこともあり、平井さんや会場に来られていた日本フィルの常務理事で事務長の後藤朋俊さん、そして広上さんともご挨拶する。
中島さんは、オーケストラ(ばかりでなく文化芸術)の問題は「民度」の問題であり、その「民度」をどう底上げしていくかが大事といったお話をよくされていたが、25年以上が経ってますますそのことを痛感する。
そして、今日の広上さんや平井さんのお話も、そのことと大きく繋がっていると感じた。
21時半過ぎに帰宅し、遅めの夕飯後、モーツァルトの弦楽5重奏曲やイタリア歌曲集を聴いたりしながら、『三遊亭圓歌ひとり語り全部ウソ。』を読み始めたり、雑件を片付けたりする。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
そして、今月がいい月でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2016年09月01日
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