快晴からどんよりとしたお天気へ。
あれあれ、月曜日はまた雨か。
気温は上昇する。
外はまだ涼しい風が吹いていたが、部屋の中はむしむしと蒸す。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調が続く。
やれやれ。
甘利前経済産業相やパナマ文書、東京オリンピックの裏金問題も有耶無耶のまま終わってしまうのではないか。
そして、「癒党」おおさか維新の比例代表区から渡辺喜美が立候補するらしい。
もしかしたら、安倍首相の肩入れ入れ知恵だろうか。
いずれにしても、わかりやすい話。
目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。
昨夕外出し、いくつか用件を片付けてからVariety Kyotoへ。
丸山交通公園ワンマンショー『24世紀の21世紀学』を愉しむ。
詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
終了後の『愛も救いもない24時間テレビ』(ユーストリーム中継)も、結局丸山君が仮眠する3時近くまで残る。
終盤、なぜだか刑事コロンボ(小池朝雄と石田太郎)の物真似までしてしまった。
3時半少し前に帰宅し、3時50分近くに寝床に就く。
で、朝型生活の成果か7時半前に起きる。
午前中、山田一雄指揮ウィーン交響楽団が演奏した團伊玖磨の交響曲第1番&第2番<DECCA>、NHK・FMの『名演奏ライブラリー』(ソプラノのアンナ・モッフォの特集)、團伊玖磨指揮ウィーン交響楽団が演奏した交響曲第3番&第4番を聴いたりしながら、観劇記録を投稿したり、仕事関係の作業を進めたりする。
川本三郎の『白秋望景』<新書館>を読了する。
正午以降、團さん指揮ウィーン交響楽団他が演奏した交響曲第5番、第6番「HIROSHIMA」を聴く。
今回、團さんの交響曲全曲を何度も聴き返したが、まずは聴き馴染みがよく聴き応えがあったというのが一番の感想。
第2番終楽章のホルンの鳴りの良さや、第4番第1楽章後半の押し寄せるような感じ、同じ第4番第3楽章の諧謔味、第6番の熟達した造り等々、実に愉しめた。
そして、日本的な抒情性や大陸的なおおらかさに加え、随所にイギリス音楽的な楽器の鳴り様を感じたりもした。
いずれにしても、團さんの交響曲はぜひ生で聴いてみたい。
午後、仕事関係の予定をすませる。
16時少し前に外出し、仕事関係の用件を片付けてから下京図書館へ。
『白秋望景』、山下洋輔の『ドファララ門』<晶文社>、高橋敏の『小栗上野介忠順と幕末維新』<岩波書店>、辻原登の『Yの木』<文藝春秋>、遠田潤子の『蓮の数式』<中央公論新社>、團伊玖磨の交響曲全集を返却し、予約しておいた吉来駿作の『火男』<朝日新聞出版>、村田喜代子の『焼野まで』<同>、山田詠美の『賢者の愛』<中央公論新社>、浅田次郎の『ブラック オア ホワイト』<新潮社>、トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサートが演奏したモーツァルトのザルツブルク交響曲集<ARCHIV>を新たに借りる。
17時少し前に帰宅し、ピノック指揮によるモーツァルトの交響曲第16番〜第19番、第20番、第21番、第26番、第27番を聴いたりしながら、『犬神家の末裔』を書き進めたり、『火男』を読み進めたりする。
『犬神家の末裔』は40回となる次回でいったん終了するか、それとも最後まで公開するか悩んでいる。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー・クラシック』で、児玉宏指揮大阪交響楽団が演奏したワーグナーの『ニーベルングの指環』ハイライト(管弦楽曲版)のライヴ録音を聴く。
続けて、ピノック指揮によるモーツァルトの交響曲第22番〜第25番&第30番、第29番&第28番を聴く。
モーツァルトがザルツブルク時代に作曲したとされる交響曲第16番〜第30番を収めた4枚組のアルバム。
大好きな第28番や第27番、有名な第25番、第29番、比較的演奏される機会のある第26番以外は、聴いていて心地が悪くはないものの、いささか無駄に饒舌というか、時に煩わしさを感じるときがあって、正直ヨハン・クリスティアン・バッハの交響曲のほうが聴いていてしっくりくる。
ピノックは表面的によく整えられた演奏。
その分、ぐっと腹にくるものが少ないように感じられなくもない。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『火男』を読み進めたりする。
『火男』は時代小説と思わせて、しっかり今が描かれている。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2016年05月15日
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