*犬神家の末裔 第38回
前略
野々村珠世様
先日は拙家にお越しいただき、誠にありがとうございます。
こちらの病気への格別のご配慮、心より感謝。
笠目の佃煮も皆で美味しくいただきました。
貴方、恒清君より事件の詳しい話を伺えて、改めて腑に落ちること多々ありました。
たとえどのような相手であろうとも、許されざることは許されない。それは、言うまでもないことです。
だからこそ、私はあえて貴方や恒清君を責めることはしません。ただただ責めることは、ただただ慰めること、ただただ許すこととコインの裏表でしかないからです。
広島とともに、満洲での出来事は恒清君にとって辛く苦しい記憶でしょうが、こうして口にすることで少しでも彼の心の重荷がとれるのであれば、よしとすべきなのかもしれません。
帝銀事件については、その菊池なる人物の仕業ではなさそうですが、到底平沢画伯が真犯人とも私には思えません。
この事件も、いずれ探偵小説にできればと考えています。
戌神家での事件のこと。
私は、虚で虚を表し、虚で真を表す作業を重ねてきましたが、貴方がおっしゃるように、虚で真を蔽うという趣向、非常に興味深く感じます。
むろん、貴方や恒清君、戌神家の人たちの今後を考えぬわけではありませんが、やはり現実に起こった事件をどこまで虚構に仕立て直すことができるのか、それで世の人々を欺くことができるのか。
それは、八つ墓村の比ではありません。
そのことに、作家としての私は心を動かされます。
結果、それが貴方や恒清君たちを傷つけ苛むこととなるかもしれませんが、それが私の作家としての業なのです。
探偵小説のためであれば、私は鬼ともなります。
その点、何卒ご理解のほど。
それでは、まだまだ暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。
昭和二十四年九月
横溝正史
草々
2016年05月13日
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