2016年05月10日

犬神家の末裔 第35回

*犬神家の末裔 第35回

拝復
野々村珠世様

 国破れて山河あり、という言葉を改めて想う今日この頃ですが、如何お過ごしでしょうか。
 お便り、心より感謝をいたします。
 八月十五日のあの終戦の詔勅を聴いた瞬間、私は、長年の間私たちの頭上に覆い被さっていた黒々とした暗雲が一掃されるような、澄み切って晴々しい気持ちとなりました。
 馬鹿で愚かな連中が馬鹿で愚かな行為を繰り返す、それがまた正しいこととされる、そんな狂った時代が遂に終わった。
 これで思うがままに、心置きなく探偵小説を書くことができる。
 もはや仕事を奪われることはない。
 私は心の高鳴りを抑えることができないでいます。

 さりながら一方で、私は沸々と沸き上がる怒りに囚われてもいます。
 やれ八紘一宇だ、それ聖戦だ。
 そのような美辞麗句に踊らされて、どれほど多くの人々の血が、若者たちの血が流され続けてきたか。
 命奪われずとも、どれほど多くの人々が塗炭の苦しみを味あわされ続けてきたか。
 終戦の翌日、私を頼ってこの岡山の一寒村に辿り着いた恒清君を目の当たりにし、私は言い様のない哀しみと激しい怒りを覚えました。
 八月六日、恒清君は新型爆弾の熱線によってその身体を蝕まれたのです。
 あの日、あの朝、一瞬の鮮光ののち、気がつけば恒清君は偶さか訪れていた工場の事務所から吹き飛ばされていた。一面の焼け野原、身体中火傷を負って赤裸となった人々、数知れぬ黒焦げの亡骸、まさしく阿鼻叫喚、地獄絵図だったと恒清君は洩らしました。
 それまで張り続けていた心が、身体が緩んだのか、恒清君は二昼夜昏々と眠り続けましたが、その合間も言葉にならぬ叫び声を上げ続けていました。
 彼が見た惨状を思うだに、私は我が身が震えてなりません。

 私はあのときの貴方の姿、月子さんや京大の専門の先生と一緒にやって来られた貴方の姿を忘れることもできません。
 恒清君の枕元で一心に、静かに看病を続ける貴方の姿には、神々しさを感じたほどです。
 月子さんは私に、貴方への感謝の言葉を口にされるとともに、恒兵衛翁の意に反してでも二人を添わせておくべきだったと嘆いておられました。
 月子さんの流す涙に、私は同情を禁じ得ません。

 金輪際戦争などやってはならない。
 そして、私たち作家と呼ばれる者たちこそ、御先棒を担ぐような真似をしてはならないと私は強く感じています。
 虚構の中で殺人が繰り広げられることが許されるのは、殺人に関する謎解きを遊戯として愉しむことが許されるのは、平和な時代なればこそです。
 私はそのためにも、私なりの探偵小説を書き続けます。

 神風を祈る心よ仇なれや たのまず我は爪で耕す

 恒清君の快復を切に祈りつつ。
 貴方も御心確かに。

昭和二十年十月
横溝正史
敬具
posted by figarok492na at 12:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 犬神家の末裔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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