*犬神家の末裔 第24回
「さゆっぺ」
と、大きな声がしたのは、早百合がアーケード街の文具店に入ろうとしたときだった。
驚いて振り返ると、そこには膨らみきった百円ショップのビニール袋を手にした沙紀が立っていた。
「さっちゃん」
「帰ってたんだ」
「うん、母さんが倒れちゃって」
「えっ、おばさん」
「軽い心筋梗塞だって」
「大丈夫なの」
「腎臓も弱ってるらしいけど、今のところは。今朝病院に言ったら、意識も戻ってた」
「そうかあ。それはよかったね」
「さっちゃんは」
「買い物買い物。たいしたもんじゃないけど」
沙紀はビニール袋の中から、マレーシア産のチョコチップクッキーの箱を取り出してみせた。
「おやつ」
「私んじゃないよ、子供たちの」
沙紀は微笑むと、
「今から空いてる」
と訊いてきた。
「空いてる」
「じゃあ、お昼でもどう」
「いいよ」
早百合は軽い調子で応じた。
沙紀と早百合はアーケード街を細い路地に逸れてすぐのところにある、ジャコモというイタリアン・レストランに入った。
作曲家のファーストネームが店名の由来というだけあってか、プッチーニの『ラ・ボエーム』が小さな音で流されている。
どうやら沙紀はこの店の常連らしく、シェフに一言断ると、窓際のテーブル席に腰を下ろした。
ランチのピークを過ぎたこともあってか、早百合と沙紀以外、店内に客はいなかった。
と、シェフの傍にいる早百合たちと同年代らしき女性が、こちらのほうに軽く手を振っている。
「ほら、さゆっぺ」
「えっ」
「二人」
「何」
「戸倉君と由美子」
「えっ」
沙紀の言葉によく確かめてみると、二人は早百合の小学校時代の同級生、戸倉学と井田由美子だった。
慌てて早百合は手を振り返した。
「相変わらずだなあ」
「しょうがないっぺ」
早百合はわざとらしく那須の方言を使った。
2016年04月25日
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