*犬神家の末裔 第23回
三菱銀行那須支店における田山兵三の一件と戌神家の事件の関係については、推理作家の熊倉徹が『日本の青い霧』中の一篇「戌神月子の毒薬と帝銀事件」で詳しく述べている。
熊倉氏は雑誌編集者を経て作家デビューを果たした人物で、タイトルからもわかる通り、デビュー作の『日本の青い霧』は、松本清張の『日本の黒い霧』から多大な影響を受けている。
ただ、熊倉氏の場合は、「櫟公爵夫妻の自動車転落事故死」や「フィルムは消えた」のように、自らの身近な人々に起こった事件を積極的に取り上げるなど、私小説的な要素が多分に含まれている点も興味深い。
実は、熊倉氏は小枝子の日本女子大の先輩にあたり、事件の発生前からすでに二人は面識があったという。
熊倉氏は、一九四七年十月十四日に起こったある事件から筆を起こす。
その日、閉店直後の安田銀行荏原支店に、厚生省技官、医学博士、厚生省予防局松井蔚の名刺を手にした男性が現われ、「赤痢菌の感染者が、午前中預金に訪れており、全ての行員と全ての金を消毒する必要がある」旨、告げる。
支店長は巡査を呼んで赤痢の発生の有無について尋ねたものの、巡査はそのことを知らず、警察署へと確認に向かう。
その間、男は帝銀事件と同様の手段で行員に薬液を飲ませたが、行員に死者は出なかった。
なお、松井蔚は実在する人物で名刺も本物だった。
いわゆる帝銀事件の予備的犯行とも目される安田銀行荏原支店事件だが、その手口は三菱銀行那須支店で試されようとしたものと非常に類似している。
そこで熊倉氏は、田山兵三を名乗った男性は、安田銀行荏原支店で松井蔚を名乗った男性同様、帝銀事件と密接に関係している人物であると断定する。
さらに熊倉氏は、この男性がなんらかの理由で戌神月子に接触し、結果として戌神恒猛や青柳達也、若槻修治殺害の際に使用されることとなる毒物を譲渡したのではなかったか、と筆を進めて行く。
熊倉氏のこの仮説には、早百合も納得させられるところが少なくなかった。
だから、適うことならばご本人に直接お話をうかがいたいと思っていたのだけれど、あいにく熊倉氏は昨年末より病気療養のため入院中である。
当然早百合は熊倉氏の著書を引用したいと考えていたが、可能な限り原資料にあたってみるのが物書きとしての礼儀だとも思い、今回の帰省を利用したのだった。
2016年04月24日
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