*犬神家の末裔 第16回
その日、早百合と美穂子は同じマンションの五階にある睦美や小枝子の部屋で夕飯をとった。
もともと小枝子は三鷹で暮らしていたのだが、夫の雅康が亡くなったのを機に、那須に居を移したのである。
「私は、田舎暮らしは嫌だったんだけどね」
と言いながら、小枝子はナイフとフォークで器用にビーフステーキを切り分けながら言った。
いくら少量とはいえ、九十過ぎの女性とは思えぬ健啖家ぶりだ。
早百合が驚きの目で見ていると、私は肉食系だからねと小枝子は笑った。
「ばあちゃん一人にしておくわけにはいかんでしょ。ほっといてごみ屋敷にでもなったらかなわんし」
「馬鹿なことお言いでないよ」
山手育ちのくせに、小枝子はわざと伝法な口調を使いたがる。
日本女子大在学中に、前進座の出し物を真似て前代未聞と言わしめた人物だけはある。
「そんじょそこらのおあねえさんと一緒にしてもらっちゃ困るよ」
「おあねえさんじゃなくて、おばばあちゃんでしょ」
「睦美は無粋だねえ」
「ばってん、あのごみ屋敷のじいさんばあさんには困っとですよ」
「長崎にもいるんですか」
睦美が美穂子の茶碗にご飯をよそいながら尋ねた。
「そがんですよ。うちの近所にも。まあだ七十にもならんとに、三菱ば辞めたとたん奥さんに先立たれて。そいで気がついたら、家の周りに発泡スチロールだとか古新聞だとか壊れた傘だとかば並べ出して」
美穂子が睦美に軽く頭を下げて、茶碗を受け取った。
「奥さんが亡くなったのが大きいんじゃない」
「そいはわかっとっとやけど、あがんされたら近所迷惑たい」
「行政は動かないんですか」
「役所はもう、ほったらかしですよ。あがんじいさんは知らんて。ああ、こん煮びたしは美味しかですね」
美穂子が那須菜の煮びたしを誉めた。
「役所なんてもんは、いつだってそうですよ。良くも悪くも前例第一主義」
そう言うと、小枝子は未だに入れ歯が一本も入っていない自分の歯でステーキを噛み切った。
「まあ、ばあちゃんは断捨離名人だからね」
「そのダンシャリて言うとはなんですか」
「少し前に流行ったんですよ、いらなくなったものはぽいぽい捨てて行くって。もとは、仏教の言葉じゃなかったかなあ」
「へえ。だったらあたしは夫ばダンシャリしようかしら」
美穂子の笑い声につられて、信光も笑い声を上げた。
そんな信光を、中一になった姉の瑞希が冷ややかな視線で見ている。
「夫を捨てるのには反対しないけど、私ゃダンシャリなんて言葉は大嫌い」
「あら、そがんですか」
「だいたい、シャリシャリシャリシャリお香香じゃあるまいし」
小枝子の応えに美穂子が笑い声を上げると、再び信光も笑い声を上げた。
「信光、静かにしな」
ついに瑞希が口を開いた。
2016年04月17日
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