*犬神家の末裔 第15回
「早百合ちゃんはよか人はおらんとね」
「よか人って」
「よか人はよか人たい」
空になった早百合の湯呑みに、美穂子はほうじ茶を注いだ。
「なかなか、見つからなくって」
早百合は、ゆっくりとほうじ茶を口に含んだ。
「そがんね。早百合ちゃんのごたっ美人やったら、相手の一人や二人、すぐに見つかろうもん」
「美人じゃないと思うけど」
あんたがもう少しきれいだったらね。
早百合が子供の頃から、母は事あるごとにそう言って早百合の顔を見つめた。
「なんば言いよっとね、早百合ちゃんが美人じゃなかったら、だいが美人ね。世の中ぶさいくだらけになっとよ」
美穂子は軽く笑い声を上げた。
「今は仕事の忙しかとやろうけん、結婚ごたっとはよか、仕事のほうが面白かてなっとっとかもしれんけど」
「母さん、何か言ってた」
「姉さん、姉さんはなんも言いよらんよ。あん人は早百合ちゃんに結婚してもらいたくはなかとじゃなかと」
「結婚してもらいたくない」
「そがんよ」
「やっぱり、そうか」
「そがん見ゆってだけよ。だけん、本当はどがん考えとらすとかは私にもわからん」
美穂子はほうじ茶を一息に飲み干した。
「だいたい、人の気持ちなんてわからんもんさ。だけんか、私はこがんして人とおしゃべりばすっとさ。子供や孫たちにはけむたがらるっけどね」
「叔父さんは」
「ああ、あん人、あん人はもう酒さえ飲めれば恩の字の人やけんね」
美穂子がわずらわしそうに右手を上下に振った。
「泣かされたこともいっぱいあったし、やぜらしかこともいっぱいあったし、何度別れようと思うたか。ばってん、そいはあん人だっておんなじたい。あん人はあん人でいろいろあったやろうけん。お互い様たい」
「お互い様かあ」
「そがんさ。相手があってこそのお互い様さ。早百合ちゃんがどがんしても一人がよかて言うとやったら、私はなんも言わんけどね。結局は早百合ちゃん次第さ」
美穂子はカステラの最後の一切れを口の中に放り込んだ。
2016年04月16日
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