2016年04月05日

内田秋子のこと

*内田秋子のこと

 早いもので、演劇界の友人内田秋子が亡くなって、かれこれ十五年が過ぎようとしている。
 良くも悪くも俺が俺が我が我がの自己顕示欲が欠かせないこの世界で、彼女はあまりにも臆面があり過ぎる俳優であり、企画者だった。
 まるでクマノミか何かのように稽古場の隅に潜んで「通し」の進行を見つめる彼女の姿を、私はどうしても忘れることができない。
 そんな性分が災いしてか、嫌な想いをさせられることも少なくなく、学生劇団時代以来の友人で恋人でもあった日根野貴之など、「あんなだから秋は損をするんですよ」と憤然とした口調で、しかし彼女には絶対に聞かれることのない場所で度々こぼしたものだ。
 本来ならば、彼女と日根野の鍛錬研鑚の場所として始まったトランスクリプション(最初は久松のアトリエ・スキップだったのが、最後には輪多の市民劇場で開催されるまでになった)が、回を重ねるうちに先輩たちの芸の見せ場になってしまったのにも、当然内田秋子の人柄、性根の良さが関係しているのではないか。
 チェーホフの『ワーニャおじさん』をやるとなったとき、ソーニャをやらせろソーニャをやらせろと壊れたレコード・プレイヤーの如く繰り返した車戸千恵子に向かって、「大根役者が恥を知れ」と叱りつけて大もめにもめたことが今では懐かしい。
 その車戸千恵子も、内田秋子が亡くなった次の年に自動車事故で亡くなってしまった。
 内田秋子にとって最後の舞台となった、ブレヒトの詩による一幕物『どうして道徳経はできたのか もしくは、老子亡命記』で、どうしても童子の役をやりたいと言ったときは、まさか病魔に侵されているとは思ってもみなかったので、ようやく彼女も我を張るようになったと私は大いに喜んだほどだ。
 確かに、出たいと意地を通しただけに、あの作品での彼女の熱の入れようは半端なかった。
 臼杵昌也の老子、布目進の税関吏、牛尾舞の税関吏の妻と伍して、彼女は童子の役を演じ切った。
 中でも、税関吏に対して、
「水は柔軟で、つねに流れる、
 流れて、強大な岩に時とともにうちかってゆく。
 つまり、動かぬものがついに敗れる」
と、師匠の老子の教えを語るときの軽みがあって柔らかで誇らしげな言葉と表情は、内田秋子という演技者の最高の場面だったと評しても過言ではない。
 水はつねに流れる、といえば、彼女は井深川の川べりに佇んで、長い時間水の流れを見つめているのが好きだった。
 なんだか動かぬものばかりが目につく今日この頃だけれど、こういうときにこそ、あの日の彼女の台詞を、もう一度思い起こしたいと思う。
posted by figarok492na at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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