2016年01月26日

郵便局や銀行を回り、京都芸術センターに行き、本を読み、小説を書き…(CLACLA日記)

 晴天。
 どんよりとした感じはありつつも、青空の一日。

 気温が上がる。
 それでも10度以下だが、ここ数日の大寒気に比べれば穏やかにすら感じられる。
 もちろん、朝晩は冷え込む。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけくださいね。


 太平洋戦争の犠牲者の慰霊のため、天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問した。
 いろいろと想うことあり。

 野々村元兵庫県議の初公判がどうこうと報じられている。
 この人物の所業は確かに度し難いが、もっと罪に問われるべき人間が山ほどいるだろうにと思わざるをえない。
 目くらましの八百長猿芝居に騙されてはなるまい。

 TBSのNEWS23の新しいメインキャスターに、朝日新聞特別編集委員の星浩が起用されるという。
 御用御用の風が吹きまくる。
 テレビなんかなくったって、全然へっちゃらだ。
 いや、『真田丸』は観たいけど…。


 昨夜外出し、京都芸術センターに寄り、大垣書店四条店で伊藤武の『イタリア現代史』<中公新書>を購入してから錦湯さんへ。
 15回目となるネオ落語・セントラルを愉しむ。
 詳しくは、前回の記事(ネオ落語記録)をご参照のほど。
 ああ、面白かった!

 終了後、交流会に参加し、常連さんと四条通のやよい軒で遅めの夕飯をすませて24時過ぎに帰宅する。


 帰宅後、モザイク・カルテットが演奏したシューベルトの弦楽4重奏曲第10番&第13番「ロザムンデ」<ASTREE>、フォルテピアノのメルヴィン・タンが弾いた同じくシューベルトの即興曲集<EMI>、ボロディン・カルテット他が演奏した同じくシューベルトの弦楽5重奏曲<TELDEC>を聴いたりしながら、4時過ぎまでネオ落語記録を投稿したり、『イタリア現代史』を読み始めたりする。

 烏龍茶(カフェイン)を飲んだせいか、5時過ぎまで寝つけず。


 それでも、朝早くに起きる。
 8時少し前から近所の工事が、カーンカーンとかまびすしい。
 いつまでやっとんねん、あほんだらあ!


 午前中、毎週恒例の洗濯をすませる。
 思っていたよりは、乾いていた。
 まあ、思っていたよりは、という程度だけれど。


 正午過ぎに外出し、郵便局や銀行を回る。


 帰宅後、ABCラジオの『とことん全力投球!!妹尾和夫です』や、ヴァイオリンのシェロモ・ミンツとクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスのヴァイオリン協奏曲&大学祝典序曲<ドイツ・グラモフォン>、ヴァイオリンのフランク・ペーター・ツィンマーマンとチェロのハインリヒ・シフが演奏した同じくブラームスのヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲&ホルンのマリー・ルイーゼ・ノイネッカー、ツィンマーマン、ピアノのサヴァリッシュが演奏したホルン5重奏曲<EMI>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』について考えたり、鶴川健吉の『すなまわり』<文藝春秋>と『イタリア現代史』を読み進めたりする。


 17時少し前に再び外出して、室町通のストアデポで買い物し、京都芸術センターで笑の内閣のチケットを購入し、夕飯用の買い物をすませて、18時半過ぎに帰宅した。


 帰宅後、ラルキブデッリが演奏したブラームスの弦楽6重奏曲<SONY>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。


 『すなまわり』を読了する。
 表題作は、大相撲の行司を務めていたことのある著者(その後大阪芸術大学を卒業し、様々な職業を経験したのち、作家に転じる)の実体験が巧く活かされた作品。
 エンタメならば大相撲を題材にした作品は少なくないが、いわゆる純文学となると稀有なのではないか。
 一方、『乾燥腕』は、閉ざされた人間関係に「いーっと」なってくる。
 ああ、面白かった!


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、ジェイムズ・フェデック指揮クリーヴランド管弦楽団のコンサート(2013年7月21日、オハイオ州ブロッサム・ミュージックセンター)のライヴ録音を聴く。
 ブロッサム音楽祭のコンサートで、ジョン・ウィリアムズの映画音楽『リンカーン』組曲、クリーヴランド管の首席クラリネット奏者フランクリン・コーエンがソロを務めるナバロのクラリネット協奏曲第2番、ガーシュウィンの『ポーギーとベス』抜粋などが演奏されていた。

 続けて、アンソニー・ハルステッド指揮ウプサラ室内管弦楽団が演奏したルーマンのドロットニングホルム宮廷のための音楽集<NAXOS>、ヴァンニ・モレット指揮アタランタ・フーギエンスが演奏したフランチェスコ・ザッパの6つの交響曲集<DHM>を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『御神酒徳利』を書き進めたり、青来有一の『悲しみと無のあいだ』<文藝春秋>を読み始めたり、『イタリア現代史』を読み進めたりする。
 『悲しみと無のあいだ』に収められている「愛撫、不和、若い、愛撫の日々」は、原爆で妻と子供3人を失くした俳人松尾あつゆきや作家林京子を通して、直接経験しなかった人間が「8月9日」(長崎への原爆投下)について創作することに関して語った作品で、同じ立場である自分には、非常に興味深かかった。
>(前略)考えてみたらあの日、あの時、そこにいなかったという一点において、わたしもまた多くの原子爆弾などには無縁の人々となんらかわりはないのではないか……、いや、むしろ、知ったかぶりの顔をしてもっともな話を語ってきただけのニセの語り部のようにも思えるのです<
(「愛撫、不和、若い、愛撫の日々」より)
 ところで、青来有一(中村明俊)は長崎西高の先輩にあたっていて、高校の同級生で松尾あつゆきの孫にあたる平田周(松尾あつゆきに関する著書がある)と記されていることもあり、同窓会名簿を確認してみると、確かにお二人の名前があった。
 あと、関西テレビの元アナウンサー岡林豊明が同じ回生であることもわかった。


 今日は、イオンのひとくちあんドーナツを食す。
 近くのグルメシティで、税込み70円に値引きされていたもの。
 練りあん入りの小ぶりなドーナツで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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