☆丸山交通公園ワンマンショー『24世紀の21世紀学 1時間目』
出演:丸山交通公園
(2015年10月30日19時30分開始/京都大学文学部新館第一講義室)
丸山交通公園が主宰していた友達図鑑の大きな魅力を何かと問われれば、やたけたな笑いのそこここから噴出する、やっておらなんだら生きてはおれん、といった丸山君の切実な感情であると僕は答える。
そして、丸山交通公園ワンマンショーと名乗るワンマン=ソロでの新たな活動によって、丸山君の感情は一層ストレートに表されるようになったと思う。
京都大学文学部新館第一講義室という、まさしく講義のための教室で行われた『24世紀の21世紀学 1時間目』は、そうした丸山君の今現在を如実に示したライヴとなっていた。
と、こう記して、何か情念ばかりが先行したやけのやんぱち雨あられといった内容を想起するならば、それは大いに間違いだ。
丸山君の芸能観、政治観、社会観、世界観がふんだんに盛り込まれている点など、まさしく「講義」と呼んでもおかしくないほどの充実した出来になっていた。
AKB48を通した2016年以降の近未来の予測は、かつての深夜番組『カノッサの屈辱』が薄っぺらく感じられるほどの鋭さだったし、途中挿入されるドキュメント類、中でも最終盤に登場する長めの文章の巧みさは、丸山君の散文におけるセンスの良さを証明してもいる。
また、速射砲のようなおしゃべりが生み出す高揚感と激しい笑いは、丸山君ならではのものである。
ただ、そうした笑いが、虐げる者と虐げられる者との関係に根差したグロテスクな笑いであり、なおかつ冒頭に記したような丸山君の切実で痛切な感情と環境から生み出された笑いであることも忘れてはならないだろう。
本来笑ってはならぬと思いつつも、おかしくてどうしても笑ってしまう。
演じ手と受け手との共犯関係というか、相互認識の上にこそ成立する笑い、とそれは言い換えることができるかもしれない。
言い間違え等、ライヴ特有の傷も、講義という形態であることによって、かえってリアリティを与えていたのではないか。
それより何より、僕が気になってならないのは、丸山交通公園という表現者の今後の立ち位置である。
彼にとって、笑い、表現することが業のものであること、生きることそのものと密接に繋がったものであることは、今さら言うまでもあるまい。
要は、それを素人の余芸に留めておいてよいのかということだ。
それを、生活を含めた生の糧にすることこそ、彼の選ぶ道なのではないか。
僕にはそう感じられてならないのだが。
いずれにしても、彼の今後の活動に大いに注目し、心から応援していきたい。
ああ、面白かった!
2015年10月30日
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