2015年10月15日

朝日新聞にネオ落語の記事が掲載されていた!(CLACLA日記)

 今日の朝日新聞朝刊の地方面(京都市内)に、錦湯でのネオ落語・セントラルに関して詳しい記事が掲載されていた。
 当方の声が載せられていることには恐縮しつつも、ネオラクゴ・フロンティアやネオ落語・セントラルでの太遊さんの取り組みが丁寧に紹介されたり、常連さんのインタビューが取り上げられたりするなど、とても嬉しいかぎりだ。
 また、同時に太遊さんの中京警察署での活動にも触れられていた。
 記者の大久保貴裕さん、本当にありがとうございます。


 晴天が続く。
 少しどんよりとした感じはありつつも。

 10月も半ばとなり、徐々に気温が下がっている。
 皆さん、くれぐれも風邪など召しませんように。


 昨夜、滝口悠生の『愛と人生』<講談社>を読了する。


 その後、KBS京都でAKB48のオールナイトニッポン(木崎ゆりあ、伊豆田莉奈、入山杏奈の出演)を聴いたりしながら、5時半近くまで仕事関係の作業を進めたり、『勝呂又吉のこと』について考えたりする。
 感情が高ぶる出来事があり、しばらく気を落ち着かせつつ。


 結局予定を変更し、覚悟の昼寝坊。


 午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、グレン・グールドが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハのイタリア協奏曲&パルティータ第1番、第2番<SONY/BMG>、ソプラノのドロテー・ミールズがミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラの伴奏で歌ったテレマンのアリア集<DHM>、トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック・オーケストラが演奏したバッハの管弦楽組曲第3番、第1番、第2番<ERATO>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『勝呂又吉のこと』を書き進めたり、村田喜代子の『八幡炎炎記』<平凡社>を読み始めたりする。
 ほかに、林達夫と久野収の対話篇『思想のドラマトゥルギー』<平凡社ライブラリー>の拾い読みをしたりする。
 『勝呂又吉のこと』は、原稿用紙93枚分を超えた。
 第三章に突入し、慰労会(パーティ)のシーンを書き始めたところで、これから10人以上の人々の言葉をどう組み合わせていくかが重要だ。


 18時過ぎに外出して夕飯用の買い物をすませ、19時過ぎに帰宅する。
 ついでに、近くのグルメシティで週刊文春の小林信彦の連載エッセイを立ち読みする。
 今号では、ロバート・アルトマンについて詳しく記されていた。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMのベスト・オブ・クラシックで、PMH(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)2015から、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮PMFオーケストラのコンサートのライヴ録音(2015年8月1日、札幌コンサートホールkitara大ホール)を聴く。
 ドミトリー・マスレエフの独奏によるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、ショスタコーヴィチの交響曲第10番他が演奏されていた。
 ショスタコーヴィチは、やはり密度の濃い内容だった。

 続けて、コープマン指揮アムステルダム・バロック・オーケストラが演奏したバッハの管弦楽組曲第4番、アンソニー・ハルステッド指揮ウプサラ室内管弦楽団が演奏したルーマンのロイヤル・ウェディング・ミュージック(ドロットニングホルム宮廷のための音楽集)<NAXOS>、グールドのバッハを聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『勝呂又吉のこと』について考えたり、『八幡炎炎記』を読み進めたりする。
 ほかに、『思想のドラマトゥルギー』の拾い読みもした。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 物事は、結果だけではなくプロセスもやはり大切だと思う今日この頃。
 創作にしろ、何にしろ。
 自省あるのみだ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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