2015年08月04日

マナコルダが指揮したシューベルトの交響曲第5番&第6番

☆シューベルト:交響曲第5番&第6番

 指揮:アントネッロ・マナコルダ
管弦楽:カンマー・アカデミーポツダム
 録音:2012年8月 ベルリン・テルデックス・スタジオ
    デジタル・セッション
<SONY/BMG>88765426962


 イタリア出身でマーラー・チェンバーオーケストラのコンサートマスターだったアントネッロ・マナコルダと、若き手兵カンマー・アカデミーポツダムが進めているシューベルトの交響曲全集から、第5番と第6番を収めたCDを聴く。
 緩急強弱のメリハリがよく効いた音楽づくりに、金管楽器やティンパニはピリオド楽器を使用するという、まさしくピリオド・スタイルを貫いた演奏だが、表面的なスタイルをなぞっていることにこのCDの魅力があると考えれば、それは大きな間違いだろう。
 このCDに限らず、マナコルダとカンマー・アカデミーポツダムが演奏したシューベルトの交響曲の魅力は、粗さざらつきを感じるその音色を含めて、そうしたピリオド・スタイルがシューベルトの音楽の持つ感情の激しい動きと切実さ、虚無感を痛いほどに明示しているところにある。
 一般的には穏美な作品と目されがちな第5番のシンフォニーだけれど、マナコルダとカンマー・アカデミーポツダムはシューベルトが下敷きにしたモーツァルトの交響曲第40番を想起させるかの如く、エモーショナルに再現する。
 例えば、第3楽章での金管の微かな鋭い響きなど、それこそピリオド楽器を使用しているからこそ生み出されたはっとする瞬間だ。
 一方、同じ調性の「ザ・グレート」に比して、小さなハ長調と呼ばれることのある第6番では、この作品が内胞する劇的な拡がり、音としての鮮烈なドラマが余すところなく表現されている。
 両端楽章の疾走感と、ときに訪れる逡巡、第2楽章の叙情性と歌唱性、第3楽章のコントラストの妙と、全篇全く聴き飽きることがない。
 シューベルトの交響曲第5番と第6番で「ふるえる」想いがしたいという方に、大いにお薦めしたい一枚だ。

 なお、hr(旧フランクフルト放送)交響楽団の楽団アカウントが、youtubeにマナコルダ指揮のシューベルトの交響曲第6番をアップしている
 オーケストラの違い、ライヴとセッション録音の違い、音質の違いはありつつも、マナコルダの解釈自体はCDと共通していると思う。
 ご参考までにぜひ。
posted by figarok492na at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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