2015年08月02日

サリエリ:『まずは音楽、お次に言葉』&モーツァルト:『劇場支配人』

☆サリエリ:『まずは音楽、お次は言葉』&モーツァルト:『劇場支配人』

 指揮:ニコラウス・アーノンクール
管弦楽:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 録音:1986年5月、アムステルダム
    デジタル・セッション
<TELDEC>8.43336(製品は旧西ドイツ製、ただしCD自体は日本プレス)

 オーストリア皇帝ヨーゼフU世の依頼によって作曲され、1786年2月7日のオランダ総督夫妻のための祝宴(シェーンブルン宮殿)で初演された、サリエリのオペラ・ブッファ『まずは音楽、お次は言葉』とモーツァルトの音楽付き劇『劇場支配人』の音楽部分を取り出して録音した一枚だ。
 全体像まではわからないものの、二つの作品の音楽的特徴、魅力を伝えるには充分な好企画である。

 で、モーツァルトとサリエリといえば、どうしても『アマデウス』の影響もあってか、天才モーツァルトと凡才サリエリという構図でとらえられがちだけど、こうやって両者の音楽を続けて聴けば、そうした見方が19世紀のロマン主義的な解釈を大いに引き摺った一面的なものであることがわかる。
 少なくとも、近年録音されたチェチーリア・バルトリやディアナ・ダムラウが歌ったアリアや、トーマス・ファイが指揮した序曲・バレエ音楽なども併せて聴くならば、サリエリが、18世紀後半のイタリア・オペラの手法語法を手のうちにおさめ尽くした作曲家と考えてまず異論はあるまい。
 一種の音楽対決という趣もあってだろう、この『まずは音楽、お次は言葉』でも、アリアに重唱と、イタリア・オペラの手練手管を駆使してサリエリは非常に華々しくて、滑稽で、耳馴染みのよい音楽を造り上げている。
 精度の高い歌い手たちの歌唱とアーノンクールの勘所をしっかりと押さえた演奏の力も加わって、実に愉しい。
 ちなみに、楽長と詩人、歌手の組み合わせで音楽と言葉の関係を描いた展開、というか『まずは音楽、お次は言葉 Prima la Musica, Poi le Parole』というタイトル自体が、のちのリヒャルト・シュトラウスの『カプリッチョ』の下敷きとなっている。

 一方、モーツァルトの『劇場支配人』のほうは、今では堂々として劇的な序曲ばかりが有名で、事実初演時も音楽付きのお芝居という形式もあってか少々分が悪かったようだが、それでもマダム・ヘルツが歌うアリエッタにしても、マドモアゼル・ジルバークラングが歌うロンドにしても、ソプラノの声質の違いを巧みに活かして美しい音楽に仕上がっているし、女性歌手二人にムッシュ・フォーゲルザングの声が見事に絡み合う三重唱には後年のオペラ・ブッファをすぐに想起する。
 そして極めつけは、終曲のヴォードヴィル。
(っても、東京ヴォードヴィルショーのヴォードヴィルじゃなくて、ここでのヴォードヴィルは、歌手たちがソロを歌ったのち全員で唱和するという音楽的な形式のこと。『後宮からの逃走』のラストにも似たようなヴォードヴィルがあった、てか、あのヴォードヴィルを音楽的にも精神的にも意識したものではないか。音型もちょっとトルコ風だし)
 ここではなんとアーノンクール自身が、ブッフのソロ部分を歌っている。
 専門の歌手に比べたら、若干癖が気になったりもするのだけれど、それがこの作品の世界にはぴったりのような気もする。
 若き日のトーマス・ハンプソンをはじめ、他の歌手陣も魅力的だ。

 両作品とも「舞台裏」を描いたいわゆるバックステージもので、子供の頃から人形劇に親しむなど劇場感覚に秀でたアーノンクールならではのアルバムだと思う。
 音楽もお芝居も大好きだという方には、大いにお薦めしたい一枚。
(『劇場支配人』は、同じモーツァルトの劇音楽『エジプト王ターモス』とのカップリングで再発されたが、サリエリのほうは海外盤国内盤ともに初出時のこのアルバムしかリリースされていないのではないか。オリジナルの組み合わせでの再発を期待したい)
posted by figarok492na at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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