☆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番他
独奏:アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)
録音:1992年1月、1991年7月
ハンブルク・フリードリヒ・エーベルトハレ
デジタル・セッション
<ドイツ・グラモフォン>435 881-2
アナトール・ウゴルスキの実演には、かつて一度だけ接したことがある。
1993年10月8日、ケルン・フィルハーモニーでのルドルフ・バルシャイ指揮ケルンWDR交響楽団の定期公演でブラームスのピアノ協奏曲第1番を弾いたときだ。
まるで蛸が吸盤で岩盤にへばりつくような、身を屈めて手だけ伸ばすウゴルスキの姿勢にありゃと思っていたら、オーケストラの堂々とした伴奏がひとしきり終わってピアノのソロが始まったとたん、僕は彼の世界に惹き込まれた。
一音一音が十分十二分に意味を持つというか。
ブラームスのリリシズムやロマンティシズムがウゴルスキというフィルターを通して、繊細丹念に再現されていくのだ。
呆然というほかない、演奏が終わったときの不思議な感覚を今も覚えている。
加えて、アンコールのスカルラッティのソナタも素晴らしかった。
遅いテンポで細やかに語られる音楽の美しさ。
同じ契約先のドイツ・グラモフォンからイーヴォ・ポゴレリチのソナタ集がリリースされていたこともあってか、ウゴルスキのスカルラッティが録音されなかったのは、返す返す残念だ。
で、今回取り上げるのは、そのウゴルスキがピアノ・ソナタ第32番などベートーヴェンのピアノ作品を演奏したアルバムである。
ウゴルスキのベートーヴェンといえば、作家のディーチェが自分の新作の付録として録音を要求し、そのあまりの出来栄えのよさに正式にリリースされることとなったデビュー盤のディアベッリの主題による33の変奏曲が有名だが、こちらのアルバムも、ウゴルスキというピアニスト、音楽家の特性がよく表われた内容となっている。
それを一言で言い表すならば、作品を通しての自問自答ということになるかもしれない。
そしてそれは、華美なテクニックのひけらかしではなく、自分自身の納得のいく音楽、演奏の追求と言い換えることもできるかもしれない。
例えば、ベートーヴェンにとって最後のピアノ・ソナタとなる第32番のソナタ。
第1楽章のドラマティックな部分も悪くはないが、ウゴルスキの演奏の肝は一見(聴)淡々と、しかしながらあくまでも真摯に歩んでいく第2楽章の弱音の部分にあると思う。
(だから、第2楽章のちょっとジャジーな音型のあたりははじけない。というか、慎み深く鳴らされる)
その意味でさらにウゴルスキの特性が示されているのは、作品番号126の6つのバガテルだ。
ここでは確信を持って非常に遅めのテンポが保たれている。
4曲目のプレストでも、表層的な激しさよりも感情の変化が尊ばれる。
そうすることによって、作品の構造そのものもそうだけれど、音楽自体を支えている土台に対してウゴルスキがどう向き合ったかがよく聴こえてくる。
さらに、そのゆっくりとしたテンポは、おなじみエリーゼのためにでも持続される。
その静謐さには、哀しみすら感じるほどだ。
最後は、「小銭を失くした怒り」の愛称で知られるロンド・ア・カプリッチョ。
この曲は、全てが解き放たれるように、とても速いスピードで弾かれる。
けれど、もちろんそれは「俺はこんなに速く弾くことができるんだぜ」といった自己顕示の反映などではない。
作品が求めるものと自分自身が求めるものとが重なり合った結果が、この演奏なのだ。
正直、ファーストチョイスとしてお薦めはしない。
だからこそ、強く印象に残る魅力的なアルバムでもある。
2015年07月31日
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