☆ハイドン:交響曲第82番「熊」〜第84番
指揮:ブルーノ・ヴァイル
管弦楽:ターフェルムジーク
録音:1994年2月15日〜19日、トロント・グレン・グールド・スタジオ
デジタル・セッション
<SONY>SK66295
今日ほど、真の中庸の道を歩むことのむずかしく、それにもかかわらずまたそれの必要なときもないことがわかる。
中庸の道とはもちろん現状維持のことではなく、革命にさえそれはあるのだ。
それは折衷でも妥協でもなく、いちばん思慮と勇気の要る道なのだ。
とは、今は亡き林達夫の言葉だが、カナダのピリオド楽器オーケストラ、ターフェルムジークをブルーノ・ヴァイルが指揮して録音したハイドンの交響曲ほど、この言葉にぴったりの演奏もないと思う。
このアルバムには、パリのアマチュア・オーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックの委嘱で作曲された、いわゆる「パリ・セット」のうち、前半の3曲が収められているが、ヴァイルとターフェルムジークは、祝祭的な第82番、劇性に富んだ第83番、優美な第84番といった各々の作品の性格はもちろんのこと、大編成の管弦楽のために大いに腕をふるったハイドンの音楽的な仕掛けを的確に再現している。
例えばそれは、「熊」というニックネームのもととなったとされる第82番終楽章のドゥイーンドゥイーンという音型や、「めんどり」というニックネームのもととなったとされる第83番第1楽章の第2主題、第84番終楽章の急緩強弱の変化など、挙げ始めるときりがない。
そして忘れてならないのは、こうした諸々が、実にさりげなく、一つの作品、一つの音楽の流れを壊すことなく表現されていることだ。
ニコラウス・アーノンクールや、彼の薫陶を受けたトマス・ファイが指揮したハイドンの交響曲には、そのアクロバティックなまでのめまぐるしい表情の変化を愉しむ反面、ときとしてわずらわしさを感じることがある。
その点、ヴァイルの快活なテンポを保った楽曲解釈は、何度聴いても聴き飽きることがない。
ターフェルムジークの明晰でまとまりのよいアンサンブルも、そうしたヴァイルの音楽づくりによく合っていると思う。
録音も実にクリアで、聴き心地がよい。
古典派好きには大いにお薦めしたい一枚だ。
返す返す残念なのは、ヴァイルとターフェルムジークによるハイドンの交響曲の録音が、中途で頓挫してしまったことである。
30番台〜第92番まで(つまるところ、ザロモン・セット以前)の交響曲、それが贅沢なら、少なくとも70番台、80番台と第91番、第92番「オックスフォード」はなんとか録音しておいて欲しかった。
(なお、ヴァイルは、ライヴ録音によるカペラ・コロニエンスシスとのザロモン・セットをリリースしているが、オーケストラの特性もあってか、ターフェルムジークとの録音ほどには魅力を感じない)
2015年07月30日
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