2015年07月21日

世は三連休の最終日だった(夜明けのCLACLA)

 世は海の日。
 三連休の最終日。
 って、こちらにはあんまり関係ないんだけどね…。


 三連休が終わろうが、安保法案に関する反対の姿勢は変わらない。


 晴天。
 いいお天気、いい青空が続く。

 気温は上昇し、暑さがとても厳しい。
 暑い暑い暑い。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 昨夜、ヒュー・ウォルフ指揮セント・ポール室内管弦楽団が演奏したレスピーギのボッティチェリの3枚の絵、鳥、リュートのための古風な舞曲とアリア第1&第3組曲<TELDEC>を聴いたりしながら、4時過ぎまで仕事関係の作業を進める。


 朝早くに起きて、仕事関係の予定をすませる。


 その後、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第82番「熊」〜第84番<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 午後、NHKラジオ第1の『なぎら健壱のフォーク大集会』を途中まで聴く。
 「ボブ・ディランをとりまく人々」のタイトルで、高石ともやが歌った『時代は変わる』や岡林信康の『戦争の親玉』も聴くことができた。
 『戦争の親玉』は、『風に吹かれて』とともに、学生院生時代に組んでいたフォーク・グループ、トリオ・ザ・ポンチョス・ブラザーズでよく歌った歌なんだよなあ。

 続けて、フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーが弾いたハイドンのピアノ・ソナタ第35番〜第39番、第20番と第34番&第33番他<ともにDHM>を聴く。


 仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』を書き進めたりする。


 鷲巣力の『加藤周一を読む』<岩波書店>を読了する。

>「それでもお前は日本人か」をくり返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焼土として、崩壊した。
 その反省から成立したのが日本国憲法である。
 その憲法は人権を尊重する。人権は「まず人間」に備わるので、「まず日本人」に備わるのではない。
 国民の多数が「それでも日本人か」という代わりに「それでも人間か」といいだすであろうときに、はじめて、憲法は活かされ、人権は尊重され、この国は平和と民主主義への確かな道を見出すだろう<
(同書に引用された加藤周一先生の文章より)

 立命館大学大学院の国際関係研究科在籍時、僕は加藤先生の講義を受講したことがあった。
 諸々の事情で欠席も少なくなかったのだけれど、一度生麩料理のお店に受講生の多くとご一緒し、帰りのタクシーで隣に座る機会もいただいたりした。
 あのときは確か、鎌倉の話などをうかがったのだった。
 また、学生院生時代にアルバイトをした、かもがわ出版は加藤先生と深いつながりにあった出版社でもある。


 続けて、吉村萬壱の『ボラード病』<文藝春秋>を読み始める。


 18時台に外出し、仕事関係の用件を片付けてから錦湯さんへ。
 月亭太遊さんのネオラクゴ企画、ネオラクゴ・フロンティアsection40を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 終了後打ち上げに参加し、非常に遅めの夕飯をすませ2時半に帰宅する。


 以上、7月20日の日記。


 で、シャワー後、フォルテピアノのアレクセイ・リュビモフが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」&第14番「月光」&第21番「ワルトシュタイン」<ERATO>を聴いたりしながら、ネオラクゴ記録をアップする。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 04:56| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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