青空は見えつつも、どんよりとした感じの強いお天気。
明日は雨のようだ。
梅雨真っ盛り。
気温は上昇し、蒸し暑さが厳しい。
蒸し暑い蒸し暑い蒸し暑い。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
昨日の沖縄慰霊の日の安倍首相のスピーチに、多くの罵声が浴びせられたという。
この間のあれこれを考えれば、当然の一語だ。
それにしても、首相になる前からずっと感じていたことだけれど、この人の言葉は本当に薄っぺらい。
そして、用意されない言葉を口にする際の品性の無さ(ヤジ等)。
自分自身が表面的に推し進めようとしていること(建前)と実際(本質)があまりにもかけ離れていて、どうにも気持が悪い。
昨夜、NHKのラジオ深夜便を聴いたりしながら(1時台の「深夜便 落語100選」で三遊亭鳳志が演じる『五目講釈』を聴けた)、4時20分頃まで仕事関係の作業を進める。
途中息抜きで、youtubeにアップされたテレビ朝日・土曜ワイド劇場『江戸川乱歩の美女シリーズ』を拾い観したが、有名な天知茂版はもちろん面白く、そのあとを継いだ北大路欣也(若々しい)版も健闘していたが、西郷輝彦版になってすぐに観るのをやめた。
内容そのものや、鏑木創のおなじみのテーマソングが安っぽくアレンジされたこともそうなのだけれど、それより何よりフィルムからビデオでの撮影に変わって画面があまりにもチープになったため、観続けるのがどうにも辛かったのだ。
西郷輝彦版は二度と目にすることはないと思う。
午前中、仕事関係の予定をすませる。
13時過ぎに外出し、仕事関係の用件を片付ける。
帰宅後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも水曜日』(途中から途中まで)や、コンチェルト・ケルンが演奏したヴィルムスの交響曲第6番&第7番<ARCHIV>、スメタナ・カルテット他が演奏したドヴォルザークの弦楽4重奏曲第12番「アメリカ」&弦楽6重奏曲<DENON>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『水の上で歌う』を書き進めたりする。
『水の上で歌う』は、原稿用紙27枚分になった。
東直子の『晴れ女の耳』<角川書店>を読了する。
和歌山の昔話を下敷きにした、幻想的な奇譚。
死と深く結びついた連作集だった。
ほかに、服部龍二の『広田弘毅』<中公新書>の拾い読みもした。
17時過ぎに外出し、仕事関係の用件を片付けてから下京図書館へ。
入口のところで旧知の人と遭遇し、1時間ほど立ち話をする。
次のステップアップのために励んでいるようで何よりで、こちらも負けずに励まなければと痛感した。
で、『晴れ女の耳』、伊坂幸太郎の『アイネクライネナハトムジーク』<幻冬舎>と『火星に住むつもりかい?』<光文社>を返却し、予約しておいた和田誠の『ぼくが映画ファンだった頃』<七つ森書館>、エリック・リーヴィーの『モーツァルトとナチス』<白水社>、黒川創の『暗殺者たち』<新潮社>、平野啓一郎の『透明な迷宮』<同>、マリオ・バルガス=リョサの『チボの狂宴』<作品社>を新たに借りる。
それから夕飯用の買い物をすませ、19時半近くに帰宅した。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、アトリウム弦楽4重奏団の来日公演のライヴ録音(2013年12月9日、東京文化会館小ホール)を聴く。
チャイコフスキーの弦楽4重奏曲第1番、第2番から第1楽章、第3番などが演奏されていた。
作品の持つ情感はよくとらえられていたが、ちょっとばかり塩っ辛い音色だったかな。
続けて、コンチェルト・ケルンのヴィルムスとスメタナ・カルテット他のドヴォルザークを聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『ぼくが映画ファンだった頃』を読み始めたりする。
『ぼくが映画ファンだった頃』は、デザイナー・イラストレーター・エッセイストで、自ら映画監督を務めたこともあるほどの映画ファンでもある和田誠が執筆した映画にまつわる文章をまとめたもの。
面白し面白し。
和田監督の作品で大好きなのは、アイドル真っ盛りだった頃の小泉今日子主演による『快盗ルビイ』。
キョンキョンと真田広之とのロマンティックでコミカルな掛け合いがいいし、吉田日出子はもちろんのこと、ブレイクする前の小日向文世らオンシアター自由劇場の面々が出演しているのも嬉しい(串田さんも出てたっけ)。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
馬鹿に支えられて恥じないのが大馬鹿者だし、その大馬鹿者を許容し、黙認する人間こそ一番の馬鹿者だ。
一番の馬鹿者にはなりたくない。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2015年06月24日
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