2015年06月10日

山田一雄と大阪センチュリー交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番

☆ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」他

 指揮:山田一雄
管弦楽:大阪センチュリー交響楽団
 録音:1991年3月15日、ザ・シンフォニーホール
    デジタル/ライヴ録音
<ライヴノーツ>WWCC-7782


 以前記したことだが、僕は朝比奈隆の演奏に5回しか接することがなかったことを全く残念には思っていない。
 ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」、第5番、第8番、ブラームスの交響曲第4番、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲(いずれも大阪フィルの定期演奏会)と、朝比奈さんが指揮するドイツ音楽は悠然確固としたもので、確かに立派だなあとは思いつつも、正直強く心を揺り動かされることはなかった。
 僕がどうにも残念でならないのは、ヤマカズさんこと山田一雄の実演に僅か4回しか接することができなかったことだ。
 笛吹くから踊ってくれよ、とばかり激しく動き狂うあの指揮姿を僕は未だに忘れられない。

 今年3月にライヴノーツ・レーベルからリリースされたこのアルバムは、亡くなる5ヶ月ほど前(8月13日に逝去)に山田一雄が指揮した大阪センチュリー交響楽団の第4回定期演奏会のライヴ録音をCD化したものである。
 ライヴということで、細かい傷はありつつも、大ベテランのヤマカズさんの指揮の下、センチュリー響の面々が真摯で密度の濃い演奏を繰り広げている。
 と、こう記すと、エネルギー全開の大熱演大爆演を期待する向きもあるかもしれないが、あいにくこのCDの魅力はそれではない。
 以前取り上げた、日本フィルとの同じ曲<タワーレコード>とも通じるが、例えば第2楽章の葬送行進曲など要所急所も含め、まとまりのあるアンサンブルによって見通しがよく均整のとれた音楽を生み出そうとしている点が、このCDの魅力であると思う。
 それには、室内オーケストラ=小編成という大阪センチュリー交響楽団の特性も大きく関係しているだろう。

 などと、それらしいことを記しているが、実はこの演奏を僕は生で聴いている。
 ならば、前々回のセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルのCDレビューで記したように、いやそれ以上に、こうやってCDで繰り返して聴くことに違和感を覚える…。
 かといえば、それがそうではない。
 こうやってCDで繰り返して聴くことによって、あのときふんわりぼんやりとしか受け止めきれていなかったものが、とても鮮明に「見える」ような気がして、僕には仕方がないのである。

 そうそう、このCDにはアンコールのモーツァルトの歌劇『クレタの王イドメネオ』のバレエ音楽からガヴォット(ヤマカズさんがアンコールとして好んで取り上げていた)も収録されているのだけれど、僕はこの曲が演奏されたことをずっと忘れてしまっていた。
 芯がしっかりと通って粘らない演奏で、耳なじみがよい。

 それにしても、山田一雄には少なくともあと数年長生きしてもらいたかった。
 だいたい、このコンサートでのヤマカズさんの姿を目にして、まだまだ大丈夫だなと思い、同じ月の京都市交響楽団の定期(29日、京都会館。第332回。オール・モーツァルト・プログラム。遭難死したウィーン・フィルのコンマス、ゲルハルト・ヘッツェルが登場)をパスしたのだし、9月の京都市交響楽団の定期(20日、京都会館。第337回)ではベートーヴェンの運命が聴けるものだと信じ切っていたのだ。
 悔やんでも悔やみきれない。
posted by figarok492na at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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