☆努力クラブ9『彼女じゃない人に起こしてもらう』
作・演出:合田団地
(2015年5月7日19時半開演/シアトリカル應典院)
努力クラブの9回目の本公演となる『彼女じゃない人に起こしてもらう』を観た。
好みは大きく分かれるだろうし、この作品の弱点欠点を指摘するのも容易だ。
演者陣との兼ね合いも絡んでだろうが、場面数や転換のさせ方、ピークの置き方等、その結構には様々な課題があって、全体的に長さを感じたことは事実である。
しかしながら、そうした負の部分を承知してもなお、僕は今回の作品に強く心魅かれるものがあった。
と、言うのも、川北唯と森田深志の演じる登場人物の言葉を通して、合田団地の現実及び現状に対する認識や内面の感情、距離感、空疎感、諦念、切実さ、タナトスがストレートに、のみならずスリリングに表されていたからだ。
むろん、それらはこれまでの合田君の一連の作品、努力クラブの一連の公演と通底するものだけれど、川北さんに加え森田君を得ることによって、合田君が一層リリカルで巧妙な言語感覚を前面に押し出すことが可能となったことも、やはり否定できまい。
配役のアンバランスも辞さず、彼女彼らに重点を置いた合田君の作劇を僕は評価したい。
実際、川北さん、森田君ともよく努めていた。
(単に「あて書き」という言葉に留めることが陳腐に過ぎるほど、合田君は川北さんの特性をよく踏まえたテキストを与えているし、時として心の揺れが演技に直結してしまうきらいの強い川北さんも、合田君の想いに充分に応えている)
また、三田村啓示(二重の意味で「おかしい」)と山本麻貴(自分自身の今をよく引き受けている)に何日もの長を感じるとともに、キタノ万里もこの間の経験がよく活きているように思われた。
ほかに、大石英史、ピンク地底人5号、木下圭子、九鬼そねみ、佐々木峻一、横山清正も、それぞれの長短はありつつも、合田君の意図に沿う努力を重ねていたのではないか。
最後に、部外者が軽々に言葉にすべきことではないと承知の上であえて記すが、今回の公演を観て(上述した諸々のことを目の当たりにして)強く感じたことは、合田君ばかりでなく、佐々木君、九鬼さんにとっても、もはや努力クラブという枠組にとらわれないほうがよいのではないかということである。
それは言い過ぎとしても、今は、各々が各々のスタンスとスタイルによって自らの表現の幅を広げ、精度を高めることこそ、個々人はもちろん努力クラブという集団にとっても大きなプラスになるように僕には感じられてならない。
初日ゆえの粗さは、徐々にかたまっていくはずだ。
来週月曜日までの公演。
ああ、面白かった!
2015年05月08日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック