☆ドキドキぼーいずの大進撃#4『ハムレットみたいなもの』
原作:W・シェイクスピア
構成・演出:本間広大
(2014年10月5日19時開演の回/元・立誠小学校音楽室)
シェイクスピアの『ハムレット』を原作とした、ドキドキぼーいずの大進撃#4『ハムレットみたいなもの』を一言で評するとすれば、「他人(ひと)事を我が事へ」ということになるのではないか。
まずもって、『ハムレットみたいなもの』では、古典劇の『ハムレット』が、例えば宮部みゆきの『理由』のようなセミドキュメント的な手法をもって、現在の日本に起った殺人事件、我々自身の身の上にも起こり得る身近な出来事へと置き換えられている。
登場人物のキャラクター設定、原作からのスライドのさせ方も見事だ。
のみならず、この『ハムレットみたいなもの』では、公演プログラムの本間君自身の言葉にもあるような、『ハムレット』への「共感」が非常にストレートに表現されている。
それは、本間君の内面の様々な想い、彼が抱えたあれこれの『ハムレット』への仮託、と言い換えることも可能だろう。
いずれにしても、如何にして他人事の中に我が事を見出すか、如何に他人事を我が事に転化させるかが、『ハムレットみたいなもの』の肝であるように僕には感じられた。
ただし、ここで忘れてはならないのは、本間君がアナーキーな感情の吐露ではなく、かっちりと構成された精度の高い劇世界の確立を心がけていた点である。
その意味で、先達たちの手法技法の援用引用、咀嚼吸収も一層洗練されてきたように思われた。
また、本間君ばかりでなく、演者陣自身が今現在置かれた状況環境や課題問題が作品世界に反映されていたように感じられたことも付記しておきたい。
5ステージ目の疲れもあってか、個々の演技ばかりではなく全体的なアンサンブルとしても粗さや軋みが観受けられたことは事実だが、表現のギアチェンジが巧みな佐々木誠をはじめ、佐藤和駿、あさのふみ、松岡咲子、黒木正浩、勝二繁、石畑達哉、永富健大、井戸綾子、山野博生ら演者陣は、技量特性の長短はありつつも、なべて作品世界によく沿った演技を行っていたと思う。
ああ、面白かった!
そうそう、『ハムレット』にまつわる我が事を一つ。
僕の父の父は太平洋戦争中、長崎市の三菱造船所に徴用され、1945年8月9日、アメリカによって投下された原子爆弾によって被爆死した(とされている)。
そして、父の母は、父の父の弟と再婚した。
その後、諸々あって父は中学卒業後、家を出ることとなる。
運輸省の航海訓練所に勤めるようになった父は、国内外の航海で年の大半を過ごすようになり、微妙な家族関係の中で幼少期を過ごした上に長期の不在ということも加わって、僕との関係はとてもぎくしゃくとしたものであった。
かつてこうしたことは特異なケースではなかったと知っているし(よくも悪くも、こうした様々な齟齬を糊塗することで、この国の人々は過去を清算したつもりになっていたのではないか)、今ではあの頃の父の気持ちもよくわかるが、『ハムレット』や「ハムレットみたいなもの」(『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』や『フォーティンブラス』ばかりか、『悪い奴ほどよく眠る』も)を観ても、つい自分自身の父のことを思い出してしまうのだ。
2014年10月06日
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