☆モーツァルト:オペラ・アリア集「モーツァルト−ヒロインズ」
独唱:ナタリー・デセイ(ソプラノ)
指揮:ルイ・ラングレー
管弦楽:エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
(2000年8月、9月/デジタル・セッション録音)
<Virgin>VC5 45447 2
流れる時間は均一でも、年齢を重ねるごとにその感覚は大きく変わっていくのではないか。
ナタリー・デセイが歌うモーツァルトのオペラ・アリア集「モーツァルト−ヒロインズ」を耳にしながら、へえ、このCDって14年も前に録音リリースされたものなのか、14年なんてほんとあっという間だなあ、という具合に。
ただ、感覚はそうであったとしても、やはり時間はしっかり経過しているのであって、実際、このアルバムできれいな高音を聴かせているデセイも、14年のうちに声がどんどん重たくなってオペラで歌う役柄を大きく変えていき、ついには昨年秋オペラからの引退を発表するに到ってしまった。
まあ、それはそれ。
有名な『魔笛』の「復習の心は地獄のように」で、コロラトゥーラの技巧をばりばりと披歴して、つかみはOK。
さらに9曲、いくぶん鼻にかかって気品があり、伸びがあってよく澄んだデセイの美しい歌声が続くのだから、これはもうこたえられない。
で、フランス出身のコロラトゥーラ・ソプラノといえば、どうしてもパトリシア・プティボンのことを思い起こすのだけれど、あちらが歌劇の「劇」にも大きく踏み込んだ行き方をするのに対し、こちらデセイは歌を中心にした、言い換えれば歌そのもので劇空間を造り込む行き方に徹しているように思う。
わかりやすい例を挙げれば、プティボンはダニエル・ハーディング指揮コンチェルト・ケルンの伴奏で歌っている<ドイツ・グラモフォン>、『ツァイーデ』の「けだもの!爪をひたすら磨ぎ澄まして」の、最後の「ティーゲル!」という一節。
プティボンが彼女の魅力でもある地声っぽい声で台詞風に言い放つのに比して、デセイはあくまでも歌として締める。
両者の違いがよく表われた部分なので、ご興味おありの方は、ぜひとも聴き比べていただきたい。
それと、デセイの柔軟性に富んだ歌唱を識るという意味では、『後宮からの逃走』の「なんという変化が…深い悲しみに」と「ありとあらゆる苦しみが待ち受けていても」の2つのアリアを忘れてはならないだろう。
前者での細やかな心の動き悲痛な表情、一転後者での激しさ力強さ。
デセイという歌い手の表現力の幅の広さが端的に示されている。
ルイ・ラングレーの指揮は、歌の要所急所をよく押さえているのではないか。
上述ハーディングのような鋭敏さには欠けるが、デセイの歌にはラングレーの抑制のきいた音楽づくりがぴったりだとも思う。
エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団も達者だ。
モーツァルト好き、オペラ好きには大いにお薦めしたい一枚。
デセイのファンはもちろんのこと。
2014年08月24日
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