2014年08月03日

オルフのカルミナ・ブラーナを聴いて

 明け方4時過ぎに眠ったというのに、夏の朝ということもあってか9時前には目が醒めた。
 起き上った拍子に腰をぴきっとやって、超軽いぎっくり腰状態になったので、再び布団の上に横になる。
 で、ちょうど9時になったのでNHK・FMの『名演奏ライブラリー』を聴くことにした。
 今回は、先頃亡くなったスペインの指揮者ラファエル・フリューベク・デ・ブルゴスの特集で、30代の彼がニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音したファリャのバレエ音楽『恋は魔術師』やオルフのカルミナ・ブラーナが放送されていた。

 オルフのカルミナ・ブラーナ。
 という曲名は知らずとも、冒頭とラストに置かれた禍々しくてよい意味で大仰な音楽ならば、映画やテレビのBGMにもよく使われているから、耳にしさえすれば、あああの曲ね、と多くの方が納得されることと思う。
 まさしく、キャッチーでつかみはOKな作品だ。
 また、中世ヨーロッパのざれ歌をもとにした乱痴気騒ぎの大はしゃぎは、いわゆる現代音楽の範疇にありながらも、実に耳なじみがよい。
 合唱フリークならずとも親しみやすい音楽といっていいだろう。

 ただ、このフリューベク・デ・ブルゴスの演奏を聴いて僕は、なあんかいまひとつ乗り切れないというか、なんとも曰く言い難い気分になってしまった。
 と、言ってフリューベク・デ・ブルゴスとニュー・フィルハーモニア管他(大好きだったソプラノのルチア・ポップも独唱に加わっている)の演奏がひどい代物という訳ではない。
 どころか、解説の諸石幸生も口にしていたように、エネルギッシュでパワフル、リズミカルな上に、分離のはっきりした録音の加減もあってか実に明瞭な演奏に仕上がっている。

 が、である。
 だからこそ、主旋律の裏でポコポコガシャガシャ刻んでいる打楽器や何やらに、作曲家の巧緻さや狡知さ、それが言い過ぎならば、何か造り物を机の上で造っているかのような意図と意志を必要以上に聴きとってしまったことも事実である。
 喩えが適切かどうかわからないが、例えばアフリカの現地の人々にとって彼彼女らの踊りや歌は当為のものであり生活と密接した自然なものだ。
 またそうした踊りや歌に心動かされ、現地以外の人々が我も我もとリズムに乗って踊り歌うのも不自然なことには感じられない。
 だが、オルフのカルミナ・ブラーナには、文化人類学者がフィールドワークで彼彼女らの踊りや歌を採取採譜して、ああ、ここでは拳を三回振り上げた、ここでは槍を二回突き上げたなるほどなるほど、それじゃあ再現してみましょう、あっと、彼彼女らはもろ肌脱いで踊っていたなあ、それじゃあそれも再現してみましょう、という持って回った感じがどこかにする。

 加えて、オルフのカルミナ・ブラーナには、元ネタの素朴さ質朴さに比して、増村保造監督の『巨人と玩具』で、劇中アイドル歌手みたくなった野添ひとみが「原住民」を模した扮装をして歌う、「土人の女に売りつけろ!」という塚原哲夫(哲は、本当は口ではなく日)作曲の俗悪な歌と同様なあざとさを感じずにもいられない。
 いや、野添ひとみのあの歌は、映画そのものが持つ同時代日本への激しい批判精神と断念の象徴であるのに対し、オルフのほうは時局への迎合すらうかがえてどうにも仕方ないのだ。
(オルフのカルミナ・ブラーナは、1936年に完成し1937年に初演された。オルフ自身はナチスの積極的な党員ではなかったとされているが、時局=政治権力ではなく、当時のアトモスフェアを反映した作品であり、音楽であることも、やはり否定できまい)

 もちろん、僕自身の偏見もあるのだろうけれど、朝からちょっと心地がよくない。
posted by figarok492na at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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