金曜深夜のラジオ深夜便といえば、通常関西など地方局からの放送だが、連休間近ということもあってか、今夜はおなじみ遠藤ふき子アンカーで東京からの放送となっていた。
で、11時台、0時台は、音楽評論家の萩谷由喜子を迎え、瀧廉太郎と幸田延に関する特集が組まれていたのでけれど、『荒城の月』の原曲(現行版は、山田耕筰によって音の変更が行われ、ピアノ伴奏が加えられている)が聴けた11時台も悪くなかったが、なんと言っても幸田延の作品が放送された0時台が聴きものだった。
幸田延[1870−1946]は、幸田露伴の妹(露伴の娘幸田文が『小石川の家』で延についても触れていて、久世光彦演出でドラマ化されたときは、先年亡くなった淡島千景が延を演じていた)で、もう一人の妹幸(結婚して安藤姓に。ヴァイオリニスト)とともに、日本の洋楽受容史を語る際には決して忘れてはならない存在である。
アメリカ、ドイツ、オーストリアへの留学経験があり、ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家としてその才能を発揮したほか、東京音楽学校の教授として後進の指導にもあたった(瀧廉太郎も師事した)が、女性蔑視、男尊女卑、女性への嫉妬によるバッシングもあって(「上野の西太后」等と揶揄された)東京音楽学校を追われ、その後は楽壇と完全に距離を置いた。
こうした彼女の経歴に関しては先日読了したばかりの青島広志の『クラシック漂流記』<中央公論新社>にも触れられており、そこでも高く評価されていた二曲のヴァイオリン・ソナタが今夜放送された。
池辺晋一郎によって欠落部分が補われているというが、ブラームスやシューマンは無理としても、ブルッフやヘルツォーゲンベルクあたりの初期の作品と言われれば、へえなるほどと思ってしまえそうな、ドイツ・ロマン派の語法に沿った弾き栄えのする音楽で、青島さんが記していた通り、瀧廉太郎の作品よりも聴き応えがある。
(そうそう、池辺さんと長年『N響アワー』でコンビを組んだ檀ふみが『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で幸田延を演じていたんだった。もしかしたら、『N響アワー』でもそのことに触れたことがあったかもしれない)
それと、これまた青島さんが記していた、幸田延が作曲した神奈川県立高等女学校・現神奈川県立横浜平沼高校校歌(佐佐木信綱作詞)を聴くことができたのも大収穫だ。
陰から陽への変化、特に陽のあたりのメロディには、ブラームスの合唱曲を想起する。
また、冒頭の音型が『荒城の月』と全く同じで、その点青島さんは疑問を呈していたのだけれど、これは教え子の瀧廉太郎に対するオマージュという萩谷さんの見解に僕も与したい。
ところで、今夜読み終えたばかりの『いつも私で生きていく』<KKベストセラーズ>の著者草笛光子も同校の出身(神奈川県立横浜第一高等女学校時代。ただし、松竹歌劇団に入ったため、草笛さんは卒業できなかった)だが、その草笛さんの名前が出たのは、偶然ながら嬉しかった。
(ちなみに、遠藤ふき子アンカーも平沼高校の出身とのこと)
残念だったのは、放送がラジオ第1でステレオ放送ではなかったことだけれど、これはまあ仕方あるまい。
いずれにしても、ああ、面白かった!
2014年04月26日
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