監督・脚本:黒澤明
脚本:橋本忍、小国英雄
音楽:早坂文雄
(2014年1月11日17時上映の回、京都文化博物館フィルムシアター)
京都文化博物館で『生きる』を観るのは今回で三度目だが、いやあ何度観てもこの作品は面白いなあ。
冒頭、『ゴンドラの唄』を引用したテーマ音楽が流れ出しただけで、ぐっとスクリーンにひき込まれてしまう。
官僚主義への批判や親子間、世代間の断絶、そして何より、いかに生きていかに死ぬかという大きな命題が、胃癌のために余命僅かとなった市役所の市民課長渡辺勘治と彼を取りまく人々のあれやこれやを通してくっきりと描かれていく。
むろん、そうしたあれやこれやが道徳の教科書風にしんねりむっつりと語られるのではなく、ストーリーの跳躍といった映画的趣向や表現主義の影響、渡辺と善意のメフィストフェレスを自認する作家(伊藤雄之助)との通俗的で邪劇的なめくるめく彷徨、さらには乾いた滑稽さ(左卜全や小堀誠がコメディリリーフの役割を果たしている)等々が盛り込まれているからこそ、大きなテーマがよりひき立ってくるのだろうけれど。
今回は、特集「生誕100年記念 早坂文雄の映画音楽世界」の一環としての上映だが、上述した『ゴンドラの唄』の使用とともに、黒澤明と早坂文雄ならではの「対位法」(シリアスな場面に陽性の音楽をあえてつける。例として、『酔いどれ天使』での「カッコウワルツ」が挙げられる)の素晴らしさを指摘しておかなければなるまい。
市役所の元部下(小田切みき。表情がとてもいい)に渡辺が自分が胃癌で残された命が短いことを告白する場面でのイェッセルの『おもちゃの兵隊の行進』(この曲を速く回転させたものが、キューピー3分クッキングのテーマ曲)と、渡辺が生きることの意味を気づいたそのときに重なる『ハッピーバースデー』(再生)は、映像と音楽の相乗作用の白眉の一つだと思う。
渡辺勘治を演じた志村喬はもちろんのこと、脇役端役に到るまで作品によく沿った演技を繰り広げていて観るたびに感心感嘆するばかり。
(一人だけとり上げると、はじめてテレビでこの作品を観たとき、警官役の千葉一郎のことを「この人、ほんと下手だなあ」と思ったのだけれど、この人の訥々とした善良で真摯な感じがあの場面でとても大切だったのだと今では痛感している。新聞記者を演じている永井智雄では、この役はやっぱり駄目なのだ)
また、神は細部に宿るというが、細かい部分まで造り込んだ美術にも感嘆した。
そしていつもながら、渡辺勘治にはなれなくとも、渡辺のようにあれればと思い続けている市民課員の木村(日守新一)程度にはありたいと改めて思った。
ああ、面白かった!
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