☆劇団ニガムシ『べっかんこ鬼』
作:さねとうあきら
脚色・演出:生方友理恵
(2013年12月8日14時開演の回/京都大学西部講堂)
>音楽評論家の某は、(原嘉寿子作曲のオペラ)『脳死を越えて』を観て、<えそらごとではない>その内容にドキッとさせられたとのたまわったよ。
「日本のオペラ通」を自任するカレは、『白墨の輪』を観ても、ドキッとしなかったわけか!
<鬼(山の人)>と夫婦になり子をなした<里の娘>ゆきは、ヒトと鬼との混血児であるわが子を抱いて、どちらの世界からも排除される、と、ここまで「親切に」つくられている『べっかんこ鬼』を観ても、ひとりの音楽家(!)の、民衆に教えられながらの成長の物語である『セロ弾きのゴーシュ』を観ても、ぜんぜんドキッともしなかったのか!<
(林光さん著『林光 歌の学校』<晶文社>より)
すでに最終公演も終わっているはずだから、作品の肝とでもいうべき部分が書かれた文章を引用してみた。
さねとうあきらの創作民話で、生前ちょっとだけ交わりのあった林光さんがこんにゃく座のために作曲したオペラの原作でもある『べっかんこ鬼』が上演されるというので、寒さに負けず京都大学西部講堂まで足を運んだ。
一つには、ピンク地底人2号や豊島勇士といった魅力的な演者陣に加え、昨年8月のユニット美人の三国志Vol.1『ピーチの園でつかまえて』で印象的な演技を行っていた生方友理恵がこの作品とどう対峙するのかが気になったことも大きいのだが。
珍妙な顔をした山鬼「べっかんこ鬼」にさらわれた盲目の娘ゆきは、いつしか山鬼と愛情で結ばれることとなる。
そして、山鬼はゆきを愛するがゆえに、ある行動に出るのだが…。
というのが、『べっかんこ鬼』の簡単なあらましで、ユニット美人の演技にも通じる誠実な演出と評することができるだろう。
今回の公演では、台詞そのものはひとまず置くとして、舞台設定が日本から中南米・ラテン風へと改められるなど、ある種「マジックリアリズム」的な要素も加味されていた。
で、お客さんへのサービスを意図したものと承知しつつも、それが巧く活ききっていないなど、舞台上の処理の面(劇場感覚という意味)に、どうしても生硬さを感じる部分があったのだけれど、作品の要所はきちんと押さえられていたように思ったし、舞踏や音楽の選択にも好感を抱いた。
(加えるならば、そうした舞台設定等は、単なる雰囲気づくり、表面的な意匠ではなく、生方さんの表現の根幹、基礎となるものの表われであったように僕には思われた。そうそう、余談だけれど、今回の公演で効果的に使われた『不屈の民』の日本語訳詞を林光さんが依頼された件に関して、冒頭に引用した『林光 歌の学校』の中で詳しく触れられているんだった)
演者陣では、主軸となるゆきのピンク地底人2号と山鬼の豊島勇士の二人をまず挙げざるをえまい。
ライヴ特有の傷や粗はありつつも、各々の特性魅力(課題)がよく出た演技を披歴していた。
ほかに、京都学生演劇祭での好演が忘れられない五分厘零児、好漢古野陽大、川本泰斗、葛井よう子も出演していて、彼彼女らの経験や力量から考えれば、正直「役不足」の感は否めないものの、作品と生方さんの演出に対して真摯に向き合っていたように思う。
いずれにしても、生方さんや演者陣の今後のさらなる活躍を心から期待したい。
2013年12月08日
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