2013年10月21日

記憶の流れと意識の流れ ヲサガリ、逆輸入公演『不透明な底』と『Re:子供』

☆ヲサガリ、逆輸入公演『不透明な底』、『Re:子供』

 『不透明な底』
 脚本・演出:久保田文也

 『Re:子供』
 原案:福田英城
 脚本:久保田文也、小川晶弘
 演出:久保田文也
(2013年10月20日19時開演の回/思文閣美術館地下一階 Chika)


 名古屋学生演劇祭で演劇祭賞を受賞したヲサガリ(京都工芸繊維大学を拠点とした、フク団ヒデキの後継団体)の凱旋公演とでも呼ぶべき、逆輸入公演の『不透明な底』と『Re:子供』を観たが、いずれも記憶の流れ、意識の流れが重要なモティーフとなっていたのではないか。

 まず、小川晶弘の前説ひとり芝居『不透明な底』から。
 男友達と劇団仲間の女性の三人で製作したインディーズ映画『不透明な底』でのエピソードについて、カメラマンだった人物が語っていくという内容。
 テキストの言葉の選択や映像の使用等作品の構成に粗さを感じたり、小川君の演技に抜けを感じたりしたものの、「藪の中」的な事実と感情の不確かさ、不透明さと、小川君の原に一物二物ありそうな雰囲気はよく合っていたと思う。
 そうそう、唐突だけど、小川君は落語をやってみてはどうかなあ。
 「若旦那」物とか、けっこう柄にはまりそうだけど。

 続いて、名古屋学生演劇祭賞受賞の『Re:子供』。
 実は、第二回京都学生演劇祭でフク団ヒデキが上演した『子供』(その際は、福田英城と小川君が出演)を仕立て直した作品なのだが、舞台上でひたすらドミノに向き合うといった実験味の強かった原作に比して、こちらは市川準の映画作品を観ているようで、早くに母親を、そして少し前に父親を亡くした兄と妹のインティメートな雰囲気がよく醸し出されていたのではないか。
 途中だれ場はありつつも、小川君のおかしみも巧く表われていて、観ていて好感の持てる作品に仕上がっていた。
 高田有菜も真摯な演技だった。

 ヲサガリのウェットに過ぎないリリカルな共同作業(久保田君と小川君らの)を、今後も注目していきたい。
posted by figarok492na at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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